所在地 | 大阪府池田市新町1-1 |
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TEL | 0727512206 |
山号 | 不断山(ふだんざん) |
宗派 | 浄土宗(知恩院末) |
院号 | 瑞雲院(ずいうんいん) |
本尊 | 阿弥陀如来立像(両脇に勢至菩薩・観音菩薩を従えた阿弥陀三尊) |
開山 | 満誉祐円(天文15年〈1546年〉開創) |
西光寺(さいこうじ)は、大阪府池田市新町にある浄土宗の寺院です。山号は「不断山」、院号は「瑞雲院」で、本尊は阿弥陀如来の立像です。天文15年(1546年)に浄土宗の僧・満誉祐円(まんよゆうえん)によって開創され、元は念仏修行が絶えなかった草庵「不断堂」と呼ばれていたものを寺院として再興した歴史を持ちます。江戸時代には池田周辺における浄土宗寺院の触頭(しょくとう)に任じられ、河辺など三郡を管轄して六箇寺の末寺を有するなど、地域の中心寺院として重きをなしました。現在の本堂は江戸時代に再建された歴史的建造物であり、境内には江戸期の豪商や文化人、力士の墓碑が数多く残ることから、地域の歴史と文化に深く根ざした古刹となっています。
西光寺の山門は、木造の薬医門風の門構えを持ち、寺の正面に位置しています。門の上部には木彫の獅子(獅子鼻)の意匠が施されており、細部に至るまで寺の風格を伝えます。山門前の路傍には「右 能勢街道/左 篠山道」と刻まれた江戸時代の石造道標が立ち、かつて当寺前が能勢方面と篠山方面を結ぶ分岐点であった歴史を物語っています。このように山門周辺には往時の交通や町の賑わいを偲ばせる遺構が残っています。
寺の本堂は阿弥陀如来を安置する堂宇で、現在の建物は江戸時代後期の文政5年(1822年)に再建されたものです。元禄10年(1697年)に大改修が行われ規模が拡大された記録があり、その後幾度か修理を重ねながら現代に至っています。入母屋造瓦葺きの伝統的な様式を備え、内部の小屋組(屋根裏)には江戸期の改修年代を示す「元禄十年」や「文政五年」の墨書板札が残されていると伝えられ、建築年代を物語っています。本堂は約200年ぶりとなる大規模修復工事(令和の大改修)が現在進められており、往時の意匠を残しつつ耐震補強や屋根瓦の葺き替えなどが行われています。
庫裏とは住職や僧侶の生活の場である寺務所・居住部分を指します。西光寺の庫裏は、かつて元禄12年(1699年)建立の書院造りの建物でしたが、1995年の阪神大震災で甚大な被害を受けました。震災後、平成末期に現代的な意匠を取り入れて新築再建され、旧庫裏から外され保存されていた欄間(透かし彫りの板飾り)など一部の部材が新庫裏に組み込まれています。旧庫裏の特徴であった豪壮な「落し掛け」や精緻な欄間の意匠は、現在も一部が継承され、往時の建築技術の高さを今に伝えています。
本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代作と伝えられる寄木造の仏像です。その作風から運慶・快慶らの慶派仏師による作品と伝承されており、阿弥陀如来としては堂々たる立ち姿の尊像です。両脇侍として脇壇に勢至菩薩と観音菩薩の立像が配され、三体で阿弥陀三尊を構成しています。明治24年(1891年)には京都の旧帝国博物館関係者による調査が行われ、本尊が鎌倉期の作品と改めて評価されたほか、当寺に伝わる長四郎明王(ちょうしろうみょうおう)と呼ばれる珍しい仏像(訶梨帝母〔かりていも〕ともいわれる明王像)が平安時代作、そして阿弥陀三尊来迎図(阿弥陀二十五菩薩来迎の掛け軸絵、阿弥陀三尊とも)が室町時代の作と鑑定されています。これらの仏像・仏画はいずれも寺宝として大切に保存され、地域の貴重な文化財となっています。
1546年
(天文15年)
念仏修行の草庵「不断堂」が、知恩院第27世・徳誉上人の弟である満誉祐円によって再建され、不断山西光寺として開創される。
1697年
(元禄10年)
池田城下町の発展期にあたり、本堂の規模を拡大する大改修を実施。
1822年
(文政5年)
老朽化した本堂を再建。現在の本堂の基本構造はこの時整えられた。
1891年
(明治24年)
明治期の調査により、本尊阿弥陀如来像が鎌倉時代作(快慶作の可能性)と鑑定され、平安期作の明王像や室町期の阿弥陀三尊来迎図など寺宝の価値が確認される。
1918年
(大正7年)
大正期の池田で行われた「誓文払い」という大売出しの一環として、同年11月に西光寺境内で15日間の臨時市(いち)が開かれ、地域の賑わいの場となる。
1995年
(平成7年)
阪神・淡路大震災により庫裏(くり)が大きな被害を受ける。
1999年
(平成11年)
震災で損傷した庫裏を現代的な意匠で新築再建(旧庫裏は元禄12年〈1699年〉建立で一部部材を現庫裏に転用)。
2020年
(令和2年)
約200年ぶりとなる本堂の大規模修復事業が令和期に着手。