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大広寺たいこうじ

大阪府池田市綾羽にある、曹洞宗の名刹・池田氏ゆかりの菩提寺

所在地 大阪府池田市綾羽2-5-16
TEL 0727513433
宗派 曹洞宗
山号 塩増山
本尊 釈迦如来
創建 応永2年(1395年)
開山 天巌禅師

戦国から江戸、現代へと続く大広寺の歴史と文化財

大広寺は、大阪府池田市綾羽に所在する曹洞宗の仏教寺院である。山号を「塩増山」と称し、本尊として釈迦如来を祀っている。創建は室町時代にさかのぼり、池田城主・池田氏の菩提寺として古くから密接な関係を持つ寺院である。境内には代々の池田城主の墓所が築かれ、また牡丹の名所としても知られている。

  • 伽藍

    境内には江戸時代に建立された歴史的建造物が数多く残っている。中でも、本堂・開山堂・書院・庫裏・山門・鐘楼の6棟が大阪府指定の有形文化財に指定されている。

  • 本堂

    現在の本堂は元禄7年(1694年)に再建された江戸時代の建物で、大広寺の中心堂宇である。大阪府指定有形文化財に指定されており、堂内には本尊の釈迦如来像が安置されている。なお、本堂の玄関天井板には「血天井」が用いられており、永正4年(1507年)の両細川の乱で池田城主・池田貞正が自刃した際に血染めとなった床板を転用したものと伝えられる。

  • 山門

    山門(さんもん)は境内の正門にあたる。江戸時代に建立された木造の門で、大阪府指定有形文化財となっている。

  • 梵鐘

    梵鐘(寺鐘)は、慶長14年(1609年)に池田知正の弟・池田光重が養子三九郎の菩提のため寄進したと伝わるものが伝来する。この梵鐘は現在も境内の鐘楼に吊るされており、桃山時代の銅鐘として国の重要文化財に指定されている。

大広寺のあゆみ

  • 1395年
    (応永2年)

    創建

    寺伝によれば、応永2年(1395年)に池田城主であった池田充正によって大広寺が創建されたと伝えられる。初代の住職(開山)には、曹洞宗開祖・道元禅師より七世の法孫にあたる天巌禅師が迎えられた。

  • 1480年
    (文明12年)

    伽藍の再建

    その後、室町時代中期の文明年間(1469~1487年)には、当時の池田城主(5代目)であった池田充正が寺院の伽藍を再建した。山上に修行の場として「望海亭」と呼ばれる亭を設け、文明12年(1480年)に記された『望海亭記』という記録が当寺最古の史料として現存している。

  • 1513年
    (永正10年)

    肖柏の草庵

    永正10年(1513年)頃、室町時代の連歌師・肖柏(しょうはく)が応仁の乱による戦火を避けて堺から池田へ移り住み、当地に草庵を結んだと伝えられる。肖柏ゆかりの寺として、大広寺の境内には彼の墓碑も現存している。

  • 1574年
    (天正2年)

    伊丹への移転

    戦国時代になると荒木村重が台頭し、天正2年(1574年)に池田城を廃して自身の本拠を伊丹城へ移した。この混乱の影響で大広寺も一時伊丹に移築され、池田を離れることとなった。

  • 1603年
    (慶長8年)

    現地での中興

    慶長年間(17世紀初頭)になると、大広寺は池田知正によって現在地(池田)に再興された。寺運の再興に伴い、慶長14年(1609年)には知正の弟・池田光重が、兄の養子となった長男・三九郎の菩提を弔うため寺に梵鐘を寄進したと伝えられている。

  • 1694年
    (元禄7年)

    本堂再建と隆盛

    元禄7年(1694年)、当時の住職が本堂を含む諸堂の再建を行った。江戸時代中期には大広寺は寺運隆盛を極め、傘下の末寺を40余りも擁するまでに発展したといわれる。境内にもかつて3つの塔頭(子院)が存在したが、現在は陽春寺の一院のみが残っている。また、大広寺は代々池田城主の菩提寺となり、歴代城主の墓所が境内に築かれたほか、池田氏から寄進されたと伝えられる梵鐘も現存している。

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