所在地 | 大阪府池田市木部町272 |
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TEL | 0727511427 |
山号 | 竹林山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
開山 | 下村五郎右衛門 |
開基 | 寛文2年(1662年) |
松操寺(しょうそうじ)は、大阪府池田市木部町にある曹洞宗の寺院で、竹林山(ちくりんざん)と号します。寛文2年(1662年)に創建された比較的新しい寺院ですが、五月山の麓に広がる竹林にひっそりと佇む尼寺として知られます。本尊には珍しい獅子に乗った釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を祀り、この仏像は400年以上前の作品と伝えられています。江戸時代初期以来約350年の歴史を重ねており、境内には俳人・阿波野青畝(あわの せいほ)の句碑など文化的な見どころも残されています。
松操寺の山門は規模が小さく、一見すると民家の門のようにも見える素朴な造りです。周囲を竹林に囲まれた静かな佇まいで、開放的な門から境内に足を踏み入れると、一帯には車の音も届かず別世界のような静寂に包まれます。
本堂は江戸時代初期の創建当初からの柱などがそのまま残されており、一度も焼失することなく約350年の歳月を経ています。周囲には増改築が施されていますが、建物の核となる部分には創建当時の面影が色濃く留まっています。
本堂に安置された御本尊は、獅子の台座に乗る釈迦牟尼仏です。台座には「笹りんどう」の紋が刻まれており、地元では開山・下村五郎右衛門の祖母が所蔵していた仏像ではないかとも伝えられています。制作年代は不詳ですが江戸時代以前のもので、その歴史は400年以上遡ると考えられます。本尊の両脇には禅宗の祖師である達磨大師と天元大師の木像が安置されています。
1662年
(寛文2年)
江戸時代前期の寛文2年(1662年)、地元の豪農であった下村五郎右衛門(通称「ごろよみ」)によって松操寺が創建されました。寺号を「竹林山」と称し、池田氏の菩提寺である大広寺第十八世の雲山宗祥を開基として迎えた曹洞宗の末寺でした。創建当初から尼僧によって守られてきた尼寺であり、長らく住職不在(無住)の時期もあって竹藪の中の草庵同然となったこともありました。しかし、地域の人々の信仰によって寺は存続し、江戸初期から修復を重ねながら現在までその姿を留めています。
1942年
(昭和17年)
昭和戦中期の1942年、俳人の阿波野青畝が友人で画家の樫野南陽の誘いにより初めて松操寺を訪れました。静かな尼寺の風情に心惹かれた青畝は、その後もしばしば松操寺を訪れて句会(俳句の集い)を開くようになりました。青畝は松操寺の閑雅な環境から着想を得て、尼僧の日常の一コマを詠んだ句など作品を残しています。
1992年
(平成4年)
平成に入った1992年、阿波野青畝の松操寺への長年の思いを記念し、境内に青畝の句碑が建立されました。揮毫された句は青畝自身が松操寺で詠んだ「手すさびに 尼のつくろふ 垣根哉」で、8月の除幕式には当時93歳の青畝本人も立ち会いました。しかしその年の12月、青畝はこの世を去り、松操寺の句碑に残る一句は青畝の俳人生涯を締めくくる遺墨ともなりました。
2017年
(平成29年)
平成29年(2017年)4月、松操寺を預かっていた第七世庵主(尼僧)が逝去されました。境内入口には「山門不幸」の札が掲げられ、寺は深い悲しみに包まれました。長年にわたり松操寺を守ってきた庵主の死去により、現代における寺院(とりわけ尼寺)の存続課題が改めて意識されることとなりました。