所在地 | 大阪府池田市畑3-13-11 |
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TEL | 0727519876 |
山号 | 玉蔵山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建 | 平安時代前期(9世紀頃) |
別称 | 西福院(明治以前の旧称) |
札所等 | 摂北三十三ヶ所観音霊場第26番札所 |
池田市畑にある西福寺(さいふくじ)は、平安時代前期に創建されたと伝えられる古刹です。現在は禅宗の一派である曹洞宗の寺院で、本尊に釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を安置しています。地域では古くから「清心観音の寺」として親しまれ、摂北三十三ヶ所観音霊場の第26番札所にもなっています。明治以前は「西福院」と称し、近代以降に現在の西福寺へ改められました。境内は石垣の上に広がる高台に位置し、自然豊かな静謐さをたたえた環境が特色です。
西福寺の本堂は、寺の中心となる礼拝堂です。大正7年(1918年)の失火による火災で伽藍が全焼した後、昭和初期までに再建された建物で、落ち着いた近代和風の佇まいとなっています。内部には本尊の釈迦牟尼仏が安置されており、訪れる人々は静かに手を合わせて祈りを捧げます。また、本堂には観音菩薩像も祀られており、摂北三十三所巡礼の御詠歌が掲げられるなど観音霊場としての趣きを感じることができます。
山門は玉蔵山西福寺の表玄関にあたる門です。石垣のある坂道を上った先に建つ山門は、禅寺らしい質素な造りでありながら風格を漂わせています。この門をくぐると、明るく開けた境内が広がり、日常とは異なる静かな空間に心が洗われるような感覚を覚えます。山門脇には寺号が刻まれた石碑が立ち、「清心観音の寺」と力強い文字で刻まれており、参拝者を迎え入れます。
平安時代前期
(8〜9世紀)
西福寺の起源は定かではありませんが、伝承によれば平安時代前期にはすでに創建されていたとされています。この頃は奈良時代から平安初期にかけて各地で仏教寺院が建立された時期であり、西福寺も当地に仏教信仰が広まる中で建立された古寺と考えられます。創建当初の宗派は明らかではありませんが、後の時代に変遷を経ることになります。
鎌倉時代
(13世紀頃)
鎌倉時代に入ると禅宗が日本で広まり始め、西福寺もこの頃に曹洞宗の教えを取り入れたと伝えられます。開祖・道元禅師が宋より伝えた曹洞宗の布教は全国に広がり、承久年間(13世紀初頭)から慶長年間(16世紀末)にかけて当寺も徐々に禅寺へと転じていったと考えられます。これにより西福寺は曹洞宗寺院となり、以後その法灯が受け継がれていきました。
江戸時代末期
(19世紀)
江戸時代には、西福寺は「西福院(さいふくいん)」と称されていました。当時、西福院は池田市綾羽にある塩増山大広寺の末寺(分院)であり、西畑・東畑村の人々の菩提寺・村寺としての役割を果たしていました。地域住民に長く親しまれ、寺と村が一体となって歩んできた歴史を持つことから、この時代の西福院には温かな信仰共同体の面影が感じられます。
明治時代
(1868年〜)
明治維新後の廃仏毀釈や寺院制度の再編に伴い、「西福院」と称していた当寺も寺号を改めました。明治以降は正式に「西福寺」と名乗るようになり、現在までその名が受け継がれています。寺号の改称により、新政府下でも寺院としての信仰と活動を継続し、近代を通じて地域の人々の信仰の拠り所であり続けました。
1918年
(大正7年)
大正7年(1918年)、西福寺は不慮の失火により本堂を含む伽藍の大部分を焼失する惨事に見舞われました。江戸時代以来の建造物や什物の多くを失いましたが、寺院関係者と檀信徒の尽力によりその後再建が進められました。再建された本堂や山門は昭和初期に完成し、往時の面影を留めつつも新たな姿で寺としての機能を取り戻しました。以降、西福寺は近代以降に再建された伽藍を基礎に、現在まで地域に根差した信仰活動を続けています。