所在地 | 大阪府池田市綾羽2-5-17 |
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TEL | 0727518545 |
山号 | 白雪山 |
宗派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 釈迦牟尼仏(釈迦如来)座像 |
両脇侍 | 道元禅師・瑩山禅師の木像 |
開山 | 一麟祥恵(大広寺第七世住職) |
創建 | 1570年(室町時代末期) |
札所 | 摂北観音霊場第16番札所 |
陽春寺(ようしゅんじ)は、大阪府池田市綾羽2丁目にある曹洞宗の仏教寺院です。1570年(室町時代末期)に創建された古刹で、元々は池田城主・池田氏の菩提寺である大広寺の塔頭「陽春庵」として建立され、後に「陽春寺」と改称して独立しました。五月山の麓の高台に位置し、境内から大阪平野を一望できる眺望の良さで知られています。本尊に釈迦牟尼仏(釈迦如来)を祀り、出世開運のご利益で信仰を集める出世稲荷社を境内に持つことも特徴です。
陽春寺の本堂は、境内中央に位置する現代的な伽藍です。焼失後の昭和28年に一度再建され、その後昭和45年(1970年)に現在の本堂が改めて建立されました。伝統的な寺院建築様式を踏襲しつつ戦後に再建された比較的新しい建物ですが、寺の本堂として本尊の釈迦牟尼仏を安置し、両脇には曹洞宗の開祖・道元禅師と中興の祖・瑩山禅師の木像が祀られています。広々とした本堂前の石畳からは大阪方面への眺望が開け、参拝者は静寂な環境の中で礼拝することができます。
山門は陽春寺の表玄関にあたる門で、参道の石段を上りきった先に建っています。切妻造瓦葺きの簡素な門ですが、境内への入り口として風格を備えています。山門をくぐると視界が開けて整然とした境内と本堂が目に入り、境内全体が明るく見渡せます。現在の山門は詳細な建立年は不明ながら、戦後の復興期までには再建・整備されたものと考えられます。門前には古木の根が石段に絡む趣深い参道があり、長い歴史を感じさせる雰囲気を漂わせています。
本堂内には本尊として釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の座像が安置されています。この像は釈迦如来(お釈迦様)を表し、陽春寺の信仰の中心となっています。その両脇には曹洞宗の高祖道元禅師(1200–1253)と太祖瑩山禅師(1268–1325)の木造坐像が祀られています。道元は曹洞宗を開いた祖であり、瑩山はその教えを広めて中興の祖と仰がれる高僧です。これら祖師像を本尊とともに安置する構成は曹洞宗寺院の典型であり、宗派の伝統と歴史を伝えています。なお、現存する本尊および祖師像は戦後に改めて奉納・安置されたもので、往時の像が大阪空襲で失われた後、寺院再興とともに揃えられたと考えられます(詳細な制作年代は不詳)。
陽春寺の境内には小祠「三光稲荷社」があり、俗に「出世稲荷」として親しまれています。これは稲荷神を祀った社で、立身出世や開運のご利益があるとされています。伝承によれば、安土桃山時代の武将である豊臣秀吉・前田利家・黒田長政が若き日に出世を願い、この稲荷社の神像に祈願したと伝えられています。こうした故事から、陽春寺の出世稲荷は出世開運を祈る人々の信仰を集め、現在でも仕事運や昇進祈願に訪れる参拝者が見られます。社殿は小規模ながら丁寧に祀られており、朱塗りの鳥居が境内の一角に鮮やかに立っています。
1570年
(室町時代末期)
陽春寺は1570年に大広寺第七世・一麟祥恵大和尚を開山として創建されました。当初の寺号は「陽春庵」で、大広寺の塔頭(子院)として建立されましたが、後に「陽春寺」と改称して独立しています。
1945年
(昭和20年)
太平洋戦争末期の第四次大阪大空襲(1945年6月15日)により、投下された焼夷弾が原因で陽春寺の伽藍は全焼し壊滅的被害を受けました。この際、陽春寺に疎開先として保管されていた裁判所の重要書類や人々の貴重品も失われています。
1953年
(昭和28年)
戦後復興に伴い、昭和28年に焼失していた本堂と庫裏(くり、寺務所)が再建されました。荒廃していた境内の整備が進められ、寺院としての機能が復旧しました。
1970年
(昭和45年)
昭和45年に現在の本堂が新たに建立されました。戦後に再建されていた仮本堂に代わり、近代的な資材も用いて堂宇が整えられ、以後は現在の本堂を中心に寺観が整備されています。