所在地 | 大阪府池田市中川原町485 |
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TEL | 0727517208 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 毘沙門天(多聞天) |
創建 | 神亀2年(725年) |
開基 | 聖武天皇 |
別称 | 吉田の毘沙門さん |
大阪府池田市吉田町にある慈恩寺(じおんじ)は、奈良時代の神亀2年(725年)に聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩が開創したと伝わる古刹です。本尊に毘沙門天(多聞天)を祀ることから「吉田の毘沙門さん」の愛称で親しまれ、勝負事や厄除けの守護神として信仰を集めてきました。弘仁年間の天長5年(828年)には弘法大師(空海)が中興し、唐の長安にあった大慈恩寺にならって「慈恩寺」の寺号が定められたと伝えられています。江戸時代に入ると真言宗から曹洞宗に改宗し、明治時代に現在地へと移転して現在に至ります。境内は自然豊かで、初夏には蓮の花が咲き、秋には紅葉に彩られる静かな佇まいのお寺です。また、中国・蘇州市の寒山寺から贈られた大鐘(梵鐘)が設置されており、国際交流の歴史を伝える寺院としても知られます。
慈恩寺の本堂は朱色に彩られた美しい建物で、「毘沙門堂」とも称されています。創建以来の本尊である毘沙門天立像を安置しており、四天王の一尊にして七福神の一柱である毘沙門天を祀る堂宇です。山寺だった頃の名残で本堂へは石段を上って参拝します。柱を飾る木鼻の彫刻は動物ではなく雲のような意匠になっており、細部に独特の意匠が凝らされています。朱塗りの堂宇に瓦屋根が映え、質実な曹洞宗の伽藍としては珍しく華やかな外観を持つ点も特徴です。
本堂へ至る石段の下には山門があります。一般的な寺院の山門とはやや趣が異なり、小さな門型の覆屋のような造りですが、参拝者を迎える入口となっています。参道沿いには多数の石灯籠が整然と並び、山里の古寺らしい雰囲気を醸し出しています。山門脇には六体の石仏(お地蔵様)が安置されており、そのうち右から二番目の地蔵尊は江戸時代後期の道標を兼ねた珍しいものです。「長尾山毘沙門天→」「妙見山江抜ケ道→」と刻まれており、かつてこの寺が能勢妙見山へと通じる街道の守護神であった歴史を今に伝えています。
境内には池田市と中国蘇州市との友好の証として寄贈された「寒山寺の鐘」の複製(名鐘)が安置されています。もともと当寺に伝わっていた江戸時代の梵鐘(半鐘)を、中国側の寒山寺が計画した古鐘博物館に寄贈した礼として、寒山寺の有名な大鐘のレプリカが平成18年(2006年)に奉納されたものです。高さ約158cm、重量約1トンにも及ぶ青銅製の大鐘で、胴部には龍をあしらった見事な装飾が施されています。唐代の詩人・張継が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」で謳われ、除夜の鐘としても広く知られる寒山寺の鐘を模したもので、訪れた人は自由に撞いて音色を確かめることもできます。この鐘楼堂(寒山寺鐘奉納堂)は境内奥の高台に位置し、鐘のすぐ上には眼力不動明王の祠があります。
寒山寺の鐘のさらに上方には「眼力不動尊」と呼ばれる不動明王像が祀られています。この不動明王は眼病平癒・視力守護のご利益がある「眼の神様」として知られ、目の悩みを持つ人々が参拝に訪れる信仰の対象となっています。鬱蒼と茂る木立に囲まれた石段を登った先に安置されており、その霊験から境内の隠れた名所ともなっています。参拝者は寒山寺の鐘を撞いた後、眼力不動尊にも手を合わせて目の健康を祈願していくことが多いようです。
725年
(神亀2年)
聖武天皇の勅願を受け、行基菩薩が当時交通の要衝であった長尾山山頂に毘沙門天・大黒天・弁財天を祀る堂宇を建立したのが始まり。
828年
(天長5年)
弘法大師空海が堂宇を再興(中興)し、唐の大慈恩寺に倣って寺号を「慈恩寺」と定めたと伝える。以後、真言宗寺院として法灯が継承される。
1721年
(享保6年)
吉田町に曹洞宗の禅道場「陽松庵」が開かれる。細河地域の檀信徒が外護者となった縁から当寺は陽松庵を庇護し、これを機に真言宗から曹洞宗へ改宗したとされる。
1887年
(明治20年)
交通の中心が山中から谷沿いに移ったため、明治期に堂宇を麓の現在地(吉田の里地)へ移した。これにより寺勢が一時衰えた山上の古跡から里寺として再興された。
2006年
(平成18年)
池田市と蘇州市の友好都市提携25周年を記念し、当寺の古鐘と中国寒山寺の名鐘レプリカを交換奉納。以後、境内に寒山寺の鐘が据えられ、大晦日には除夜の鐘として撞かれるようになった。