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専行寺せんぎょうじ

大阪府池田市中川原町にある、真宗大谷派の歴史ある寺院

所在地 大阪府池田市中川原町258
TEL 0727513471
山号 大雲山 専行寺
宗派 浄土真宗大谷派(真宗大谷派)
本尊 阿弥陀如来立像(阿弥陀仏)
創建 万治2年(1659年)創建(開基:僧・正貞)
寺紋 笹竜胆(ささりんどう) – 多田源氏ゆかりの家紋

江戸初期の創建と寺子屋の伝統が息づく専行寺

専行寺(せんぎょうじ)は、大阪府池田市中川原町にある浄土真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、山号は大雲山という。江戸時代初期の万治2年(1659年)に僧・正貞(しょうてい)によって開かれたと伝えられ、池田地域では最も古い東本願寺系の道場として出発した古刹である。本尊には阿弥陀如来立像を安置し、その両脇に親鸞聖人の御厨子と蓮如上人の絵像掛軸を備えている。素朴で落ち着いた雰囲気の寺院であり、細河(ほそご)地域の植木産業地帯に位置する明るい境内では、夏季に蓮の花が咲くなど風情ある景観も特徴である。

  • 本堂

    専行寺の本堂は境内の中心に位置する御堂であり、現在の建物は江戸中期頃に再建されて以来、幾度も修復を重ねつつ約270年の歳月を経ているとされる。質実な和風寺院建築で、派手さはなく素朴ながらもどっしりとした造りが特徴である。木造瓦葺きの大屋根を頂き、内部には本尊の阿弥陀如来を安置する須弥壇(しゅみだん)と内陣が設けられている。周辺地域を襲った大風などの天災にも大きな被害を受けた記録はなく、本堂は地域門徒の手によって長年護持されてきた堂宇である。

  • 山門

    本堂へと至る入口にあたる山門は、専行寺の正面に構える簡素な門である。切妻造風の小さな門柱と棟瓦を備えた木製の門で、過度な装飾はなく周囲ののどかな環境に溶け込んでいる。山門の前には日当たりの良い畑が広がり、丁寧に手入れされた植栽が寺域を彩っている。門柱などには寺紋である笹竜胆が掲げられ、寺の由緒を静かに伝えている。山門をくぐると明るく開放的な境内に入ることができ、訪れる人々を温かく迎える佇まいとなっている。

  • 仏像・寺宝

    本堂内に安置されている本尊の阿弥陀如来立像は、室町時代後期の作とも伝えられる古い木造仏像であり、専行寺の信仰の中心となっている。この本尊の左右には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の木像(御厨子)と、中興の祖・蓮如上人の肖像画(掛け軸)が安置され、宗祖への尊崇がうかがえる。寺宝としては、江戸時代の寛永20年(1643年)に細郷地域の田畑の様子を記録した古文書「細郷組田畠永荒書分之帳」が伝わり、現在も寺に所蔵されている。これらの仏像や資料は専行寺の長い歴史と地域との関わりを物語る貴重な文化財であり、寺院に訪れる人々は間近でそれらを拝観することで歴史的な重みを感じることができる。

専行寺のあゆみ

  • 1659年
    (万治2年)

    創建

    専行寺は江戸幕府開府後間もない万治2年(1659年)に、浄土真宗の僧・正貞によって創建された。開基当初より東本願寺(真宗大谷派)に属し、池田周辺では最も早く開かれた東本願寺系寺院として門徒の信仰を集めた。寺伝によれば、江戸時代中期には肥後熊本藩主細川家に仕えた森家の先祖が一時この寺に身を寄せ、その後に池田市古江町に森家を興して如来寺(真宗本願寺派の寺院)を建立したと伝えられており、専行寺は周辺寺院の草創にも関わりを持ったとされる。こうした歴史的背景から、専行寺は地域に根ざした道場として発展し、多くの門徒たちが協力して寺を建立・維持してきた。長年にわたり庶民に慕われる寺院であり、その努力の積み重ねが現在まで寺観を保ち続けている。

  • 1874年
    (明治7年)

    寺子屋が細郷小学校へ移転

    江戸時代、専行寺は宗教施設であると同時に寺子屋(寺院学校)として地域の子どもたちの教育の場ともなっていた。明治維新後の学制発布に伴い、明治7年(1874年)に専行寺で開かれていた寺子屋は細郷小学校として再編・移転される。この細郷小学校は現在の池田市立細河小学校の前身であり、専行寺は近代教育機関創設にも寄与したことになる。寺子屋から公立小学校への移行は、明治期の社会改革の中で寺院が地域社会に果たした役割を示す一例である。その後も専行寺は地元の人々の信仰の拠点であり続け、地域の歴史・文化に深く根差した寺院として現在に伝えられている。

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