所在地 | 大阪府池田市伏尾町697番地 |
---|---|
TEL | 072-752-1857 |
URL | https://kyuanji.jp/ |
山号 | 大澤山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
中興年 | 伝・天長年間(824年 – 833年) |
創建年 | 伝・神亀2年(725年) |
文化財 | 楼門/木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)/木造薬師如来立像/木造増長天立像/紙本著色涅槃図ほか(市指定有形文化財) |
大阪府池田市に位置する久安寺は、高野山真言宗に属する古刹で、神亀2年(725年)に行基が開創し、天長年間(824年 – 834年)に空海が中興したと伝えられています。
境内は四季折々の花々で彩られ、特に紫陽花や紅葉の名所として知られ、「花の寺」と称されています。
また、楼門は室町時代の建立で、国の重要文化財に指定されています。
関西花の寺二十五霊場第12番札所でもあります。
久安寺の正面入口にあたる門で、格式ある薬医門形式。落ち着いた佇まいが古刹の風格を漂わせます。
久安寺の中心伽藍であり、本尊・千手観音菩薩を安置。通常は非公開の秘仏で、特別な機会にのみ御開帳されます。
時を告げる鐘が吊るされた建物で、境内に荘厳な音を響かせます。年末の除夜の鐘などでも親しまれています。
西国薬師四十九霊場第18番札所としての信仰の場。本尊・薬師如来の前立ち像が祀られています。
西国三十三所観音霊場の本尊を安置するお堂。阿弥陀堂には国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像が収められています。
弘法大師・空海を祀るお堂で、真言宗の信仰の要所。堂内には大師像が安置されています。
子どもの守り仏として親しまれる地蔵菩薩を祀るお堂。小さな祠のような造りで、地域の人々に愛されています。
釈迦の入滅(涅槃)を表す石像仏を安置。長さ6.4mの涅槃仏が横たわり、静かな癒しの空間を演出します。
室町時代に建てられた、国の重要文化財。重厚な二重門の構えが、久安寺の歴史的風格を象徴しています。
725年
(神亀2年)
この年を久安寺の創建年とし、北摂池田の地に仏教寺院が成立したと伝えられています。
824~834年
(天長年間)
行基開創の安養院はこの頃大いに栄え、真言宗の教えが根付く基礎が築かれました。
1140年
(保延6年)
しかし堂内に安置されていた薬師如来像・阿弥陀菩薩像は奇跡的に難を逃れ、本尊の千手観音像は岩上へ飛び去り光明を放ったと伝承されています。
1145年
(久安元年)
賢実上人が勅命により伽藍を復興し、桜門や堂塔、さらには四十九もの子院を擁する大寺院へと発展しました。この再興により久安寺は皇室祈願所としての地位を確立します。
14世紀頃
(室町時代初期)
楼門は入母屋造本瓦葺の二重門で、「軒反り」という優美な技法を用いた姿が特徴です(寺伝では奈良時代創建、室町期に大改修)。
1595年
(文禄4年)
この際、秀吉は境内に三光神を勧請して月見を楽しんだともいわれ、現在も境内には秀吉お手植えと伝わる榧(カヤ)の大樹と、秀吉が腰掛けた「腰掛石」が残っています。この出来事により、久安寺は戦国期の歴史にも名を留めました。
18世紀中頃
(江戸時代中期)
この頃、戦乱や社会変動で寺運が衰退する局面もありましたが、平間長雅らの尽力で法灯が護持され、久安寺は観音霊場として信仰を集め続けました。江戸後期までに寺観は再び荒廃しましたが、本尊信仰は地域に定着していきました。
1903年
(明治36年)
後年の文化財保護法施行後に「重要文化財」として継承。優雅第一と賞賛された楼門は早くから保存の必要性が認められていました。
1950年
(昭和25年)
楼門はその建築技法の希少性から、阿弥陀如来像は平安後期の仏像彫刻の遺例として、文化財的価値が公式に認められました。
1959年
(昭和34年)
調査の結果、楼門は室町時代初期に再建または大修理され、江戸・明治期にも数度修復された形跡が確認されました。この修理報告書は池田市教育委員会から刊行され、楼門の建築史上の位置づけが明らかになりました。
1974年
(昭和49年)
曼荼羅の世界観にならった区画設計の霊園で、平坦な参拝路を整備し、誰もが墓参しやすい環境が整えられました。昭和期の「興隆事業」によって諸堂も再建され、梵字の「ア字山」と「バン字池」を配した庭園「虚空園」の造成も行われています。これらの整備により、久安寺は昭和後期にかけて花の名所として再興を遂げました。
1978年
(昭和53年)
江戸時代に書写・編纂された「久安寺縁起」関係資料(真名縁起・仮名縁起・版木の一括)が池田市の市指定文化財(絵画)となり、併せて平安時代作の木造薬師如来立像も市指定文化財(彫刻)に指定されました。久安寺縁起は寺の創建伝説や中興の歴史を伝える貴重な記録で、漢文体・仮名書き・版木の3種が揃う稀有なものです。薬師如来立像は池田市内最古級(8世紀頃)の仏像であり、その指定により寺宝の保護体制が強化されました。
1989年
(平成元年)
本尊薬師瑠璃光如来を奉る霊場巡りで、久安寺の薬師如来は池田市最古の仏像として宝物殿で公開されています(薬師堂の前立ち像は平成4年〈1992年〉の造立)。
1993年
(平成5年)
古くから「ぼたん寺」「あじさい寺」とも称された花の寺として、四季折々の牡丹・ヒラドツツジ・紫陽花・紅葉・蓮などが訪れる人を迎え、花を縁とした地域振興と布教に貢献しています。
2005年
(平成17年)
見頃を過ぎた紫陽花を「終わりかけの生命にもう一度潤いを」との願いで水面に浮かべて供養する取り組みで、「花のお葬式」とも呼ばれます。毎年6月の梅雨時に行われるこの光景は幻想的で、後年SNSや新聞報道で話題となり、久安寺を代表する行事として定着しました。
2006年
(平成18年)
堂内には長さ6.4メートルにも及ぶ大涅槃仏石像が安置され、久安寺の新たなシンボルとなりました。この舎利殿涅槃堂は近年造立された建造物ですが、古刹の境内に調和しつつ参拝者に仏教の教え(釈迦涅槃)を視覚的に伝えています。
2010年代後半~2020年代初頭
特に紫陽花の池浮かべ(あじさいうかべ)はSNSで拡散され、若い世代を含め参拝者が飛躍的に増加。2021年には朝日新聞など大手メディアでも写真付きで紹介されるなど、久安寺の名所としての知名度が全国的に高まりました。四季の花が織りなす風景と歴史的伽藍の調和が評価され、観光寺院としても注目されています。
2024年
(令和6年)
11月15日から28日までの2週間限定で本堂内陣にて千手観音像を公開し、あわせて宝物館(阿弥陀堂)も特別公開して国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像などを拝観に供しています。11月17日には記念法要「もみじまつり」が催され、大般若経転読・柴燈護摩・開運餅まきなどの行事が執り行われました。この御開帳は千年以上秘仏とされてきた本尊の初公開であり、多くの参拝者が歴史的瞬間に立ち会いました。