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鶴満寺かくまんじ

奈良期創建の伝承を持ち、百体観音と国重文の古鐘を伝える長柄の天台真盛宗古刹

所在地 大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12
電話 06-6351-0675
山号 雲松山(うんしょうざん)
院号 慈祥院(じしょういん)
宗派 天台真盛宗(天台宗系)
本尊 阿弥陀如来(木造立像・鎌倉時代/大阪府指定文化財)
創建 奈良時代(寺伝)
中興 宝暦3年(1753年) 忍鎧上人による再興
札所 新西国三十三箇所 第3番札所

奈良期創建の伝承を持ち、百体観音と国重文の古鐘を伝える天台真盛宗の名刹・鶴満寺

鶴満寺(かくまんじ)は、大阪市北区長柄に位置する天台真盛宗の古刹で、寺伝では奈良時代に大和国で創建されたと伝わります。 その後各地を転々としたのち、寛保3年(1743年)に大坂の豪商・上田宗右衛門広久が寺籍を譲り受け、現在の長柄の地へ移転しました。 宝暦3年(1753年)には京都・上善寺の僧、忍鎧上人を招いて堂宇が再興され、七堂伽藍が整備されました。 この中興再建時には、霊元法皇皇子・勝の宮の安産祈願として後宮の新大納言局が十体の観音像を刻んで奉納し、そのうち一体が子安観音として当寺に安置されました。 さらに江戸の豪商・鴻池家や白木屋などの寄進により、西国・坂東・秩父各三十三霊場の本尊を模した観音像が多数造立され、合計百体もの観音像を安置する 「百体観音」として庶民の篤い信仰を集めました。一度の参拝で百霊場巡礼と同等の功徳が得られると信じられ、参詣者が絶えなかったと伝えられます。

長柄に移ってからの鶴満寺は桜の名所としても知られ、古典落語「鶴満寺」にも境内の桜景色が描かれるほどの名勝でした。しかし明治18年(1885年)の 淀川大洪水で境内は甚大な被害を受け、「百体観音」は流失し、桜の古木はすべて枯死してしまいました。その後、再び各地から寄進を受けて百体観音は復興し、 今日も新たな観音像群が安置されています。 境内には、平安時代(高麗時代初期)鋳造の朝鮮鐘(梵鐘)が伝わっています。銘文に「太平十年(1030年)」と刻まれた精巧な古鐘で、 かつて山口県の普済禅寺にあったものが廃寺に伴い地中から発見され、江戸時代に当寺へ寄進されたといわれます。 この鐘は国の重要文化財に指定されており、現在は文化財保護のため大阪歴史博物館に寄託されています。

本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代作で大阪府指定有形文化財に指定され、寺伝では天台座主・慈覚大師(円仁)の作と伝えられています。 また、平安の名工・定朝作とされる地蔵菩薩像も安置されるなど、堂内には貴重な仏像が数多く伝わっています。 鶴満寺は現在、新西国三十三箇所霊場の第三番札所として巡礼者を迎える一方、宗祖・真盛上人の教えに基づいた福祉活動にも力を入れ、 境内には特別養護老人ホーム「鶴満寺聚楽院」や保育所が併設されています。 一般参拝はできませんが、外観や周辺の空気から歴史ある伽藍の風格と静謐さを感じることができる寺院です。

  • 八角楼閣付き観音堂(百体観音堂)

    鶴満寺で最も特徴的な建築が、この八角形の楼閣(小塔)を戴く観音堂です。昭和8年(1933年)に再建された堂宇で、 内部には安産祈願で知られる子安観音が本尊として祀られています。さらに、西国・坂東・秩父の三十三箇所霊場になぞらえた百体の観音像が安置され、 「百体観音堂」とも呼ばれます。明治期の洪水で流失した百体観音は、現在は新たな奉納により復興され、堂外からガラス越しに参観できます。

  • 本堂(釈迦堂)

    宝暦3年(1753年)に中興された入母屋造本瓦葺きの本堂で、豪商・上田宗右衛門の発願によって建立されました。 外陣と内陣が連結する複合本堂形式を伝える貴重な建築で、大阪市指定有形文化財に指定されています。 内部には丈六(約4.2m)の阿弥陀如来像が安置され、背後の来迎壁には釈迦三尊図が描かれるなど、江戸中期の宗教美術を伝える壮麗な堂宇です (通常非公開)。

  • 梵鐘(つりがね)

    平安時代の1030年に鋳造された朝鮮鐘で、高さ約92cmの精巧な銅鐘は朝鮮・高麗初期の形式を示す希少な作品です。 かつて山口県普済禅寺にあったものが地中から発見され、江戸時代に当寺へ寄進されました。 国の重要文化財に指定されており、現在は保存のため大阪歴史博物館に収蔵されています。 境内には鐘楼のみが残され、往時の法会で響いた音色に思いを馳せることができます。

  • 仏像・絵画(貴重な寺宝)

    鶴満寺の本尊・阿弥陀如来立像(鎌倉時代)は大阪府指定有形文化財で、穏やかな表情の名品です。 脇侍には定朝作と伝わる地蔵菩薩像が祀られています。また、鎌倉末期作と伝わる絹本著色千手観音像(府指定)、 紙本墨画釈迦三尊像、絹本著色天台大師像(市指定)など多くの仏画が伝わり、いずれも長い歴史と信仰の厚さを物語っています (通常非公開)。

  • その他の史跡

    境内には大岡越前(大岡忠相)ゆかりと伝わる石灯籠「猿燈篭」や、俳人・上島鬼貫の供養碑も残されています。 鬼貫の句碑には「おもしろさ急には見えぬすすきかな」と刻まれ、文化9年(1812年)の門弟による追善建立と伝えられます。 周囲には黄檗宗・正徳禅寺や淀川天神社があり、かつて境内に広がっていた桜は失われたものの、周辺の新植桜が春に彩りを添え、 長柄の歴史的な寺社景観を今に残しています。

鶴満寺のあゆみ

  • 奈良時代
    (8世紀頃)

    寺伝による創建

    大和国にて創建されたと伝わる。日本仏教草創期に起源を持つ古刹としての伝承が残る。

  • 1743年
    (寛保3年)

    長柄への移転が開始される

    大坂の豪商・上田宗右衛門広久が寺を譲り受け、摂津国南方村(長柄)への移転を開始。 現在の鶴満寺の歴史がここから本格的に始まる。

  • 1753年
    (宝暦3年)

    忍鎧上人による堂宇再建(中興)

    京都上善寺の僧・忍鎧上人を招いて本堂をはじめとする七堂伽藍を再建。 子安観音および百体観音の信仰が広まった重要な時期となる。

  • 1885年
    (明治18年)

    淀川大洪水で甚大な被害

    境内の大半が浸水し、百体観音像が流失。名所として知られた桜の古木もすべて枯死するなど大きな損失を受けた。

  • 1933年
    (昭和8年)

    観音堂(百体観音堂)を再建

    八角楼閣を戴く独特の意匠を持つ観音堂が再建され、百体観音が再び祀られる。 現代まで続く鶴満寺の象徴的建築となる。

  • 1985年
    (昭和60年)

    本堂の向きを南向きから西向きへ変更

    都市計画道路拡幅に伴い、本堂の正面方向が変更される。 都市環境の変化に応じ寺観も新たな姿へと調整された。

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