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高野寺こうやじ

大阪の町に息づく厄除弘法大師信仰の寺院

寺院名 高野寺(こうやじ)
所在地 大阪府大阪市西区土佐堀1丁目5-10
TEL 06-6441-3863
山号 開運山
宗派 真言宗犬鳴派
本尊 厄除弘法大師
創建 建久2年(1191年)〔伝・覚和上人開山〕
中興 明治13年(1880年)〔高野山三蔵院移転により改称〕
文化財 (伝)不蒔菜の厄除弘法大師坐像

大阪の町に息づく厄除大師信仰の寺院・高野寺

大阪市西区にある高野寺は、真言宗犬鳴派に属する寺院で、 厄除弘法大師(弘法大師空海の像)を本尊としています。 明治初期の廃藩置県(1871年)に際し、 当時の長州藩主・毛利敬親公が大阪・江戸堀にあった 長州藩蔵屋敷の跡地を高野山(金剛峯寺)に寄進し、 その地に寺院が建立されたのが当寺の始まりと伝えられます。 その後、明治13年(1880年)には、 高野山準別格本山であった三蔵院が当地へ移転され、 諸堂が整えられるとともに寺号を現在の「高野寺」と改称しました。 この三蔵院は、建久2年(1191年)に覚和上人が開山したと伝えられる古刹であり、 高野寺はその歴史と法脈を継ぐ霊場とも位置づけられています。 創建当初より寄進者である長州藩にちなみ 「長州のお大師さん」と称され、 かつては「七丁目のお大師さん」として 大阪の人々に親しまれてきました。 交通手段が限られていた時代には、 遠く高野山へ参詣できない人々が 市街地にある当寺で弘法大師に手を合わせたといわれます。 現在でも毎月21日の弘法大師の縁日には、 多くの参詣者が訪れ、護摩供などの法要が営まれています。 本尊の厄除弘法大師像は、 弘法大師が42歳の折に自ら刻んだと伝えられる霊像で、 「不蒔菜(まかずな)の大師」とも呼ばれています。 飢饉の際、この像に祈ると青菜が芽生え、 多くの命が救われたという伝承に由来するもので、 厄除・開運の信仰を今に伝えています。 高野寺は、こうした地域の信仰と伝説を受け継ぐ大阪市内の古刹であり、 摂津国八十八ヶ所霊場第27番札所としても知られています。

  • 山門(さんもん)

    高野寺の山門は、大阪市西区の土佐堀通りに面して建っています。 周囲をビルに囲まれた街中にありながら、門前には霊場札所を示す紫色の幟旗が掲げられ、 都会の中でもひときわ目を引く存在です。 現在の山門は近代的な造りですが、 「開運山高野寺」と記された表札が掲げられ、 梁部分には龍の精緻な彫刻が施されるなど、 随所に伝統寺院としての趣を残しています。 門を入ると正面にはコンクリート造の堂宇が建ち、 2階部分が本堂、1階は駐車場として使われており、 都市寺院ならではの立体的な構成が特徴です。

  • 石碑と石仏群

    石段の脇には、かつての三蔵院の由緒を伝える古い石碑が建立されています。 その周囲には小堂や石仏が点在し、参拝者の目を楽しませます。 入口近くに立つ地蔵菩薩像は赤い衣や帽子を身につけた愛らしい姿で、 「笠地蔵尊」とも呼ばれ、地域の人々によって大切に祀られています。 境内にはこのほか、賓頭盧尊者像、水子地蔵、延命地蔵、ぼけよけ地蔵などが静かに佇み、 さらに小さな稲荷大明神の祠も配されるなど、 高野寺が多様な信仰を受け入れてきた歴史を物語っています。 元禄年間の手水鉢も残されており、江戸時代の寺歴を今に伝える遺構となっています。

  • 本堂(厄除大師堂)

    石段を上りきった正面、建物の2階部分が本堂(厄除大師堂)です。 鉄筋コンクリート造の近代的な堂宇でありながら、 正面には一対の仁王尊像(金剛力士像)が安置され、 寺域を力強く護っています。 仁王像の脇には賓頭盧尊者像も祀られ、 参詣者は自身の患部と同じ箇所を撫でて快癒を祈ります。 本堂内部には本尊である厄除弘法大師坐像(秘仏)が安置されており、 毎月21日の弘法大師の縁日などには法要が営まれます。 近代建築の中に密教寺院らしい荘厳さが保たれ、 地元信徒の信仰の中心として今も静かに機能しています。

高野寺のあゆみ

  • 1191年
    (建久2年)

    三蔵院の創建

    伝承によれば、覚和上人が高野山に三蔵院を創建する。 高野寺の法脈は、この中世高野山の一院に始まるとされている。

  • 慶長年間
    (1596–1615年)

    大坂への移転と信仰の拡大

    初代紀州藩主・浅野幸長の命により、 紀伊国梁瀬の里から大坂本町七丁目へ寺院を移転。 以後、高野山行人方の輪番所として大坂の地で信仰を集める。

  • 1871年
    (明治4年)

    長州藩蔵屋敷跡への堂宇建立

    廃藩置県に伴い、旧長州藩主・毛利敬親公が 大阪江戸堀の長州藩蔵屋敷跡地を高野山に寄進。 その地に堂宇が建立され、弘法大師像が安置される。

  • 1880年
    (明治13年)

    開運山高野寺として再興

    高野山準別格本山・三蔵院が正式に当地へ移転し、 寺号を「開運山高野寺」と定めて再興。 初代住職には高野山金剛峯寺座主・師岳快猛大僧正が就任し、 以後「長州のお大師さん」として地域に親しまれる。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲を免れる

    大阪大空襲の戦火を免れ、 本尊の厄除弘法大師像や堂宇が無事に残される。 戦災を免れた霊場として、信仰は途切れることなく続いた。

  • 昭和後期
    (20世紀後半)

    近代的境内整備と現在

    本堂をはじめ境内諸堂が近代的な建物へと改築・整備される。 現在に至るまで、地元信徒の信仰道場として維持・継承され、 大阪の町に息づく厄除大師信仰の拠点となっている。

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