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養照寺ようしょうじ

行基開基の伝承をもつ、豊中・小曽根の地に息づく浄土真宗本願寺派の古刹

所在地 大阪府豊中市小曽根1-8-8
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
山号 善興山(ぜんこうざん)
本尊 阿弥陀如来(木造立像)
創建 天平年間(8世紀中頃)/伝・行基菩薩開基
中興 明応元年(1492年)智鑑(法名・念西)が本願寺第8世蓮如上人に帰依し浄土真宗に改宗、「養照寺」と改称
文化財 狩野派絵師・勝部如春斎筆『秋草に鶴図』襖絵(江戸中期作、豊中市所在)所蔵

行基から蓮如へ―真言から浄土真宗へ改宗し、文化と花に彩られた「善興山 養照寺」

養照寺(ようしょうじ)は、大阪府豊中市小曽根の閑静な住宅街にひっそりと佇む浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院である。 その歴史は古く、奈良時代の天平年間(729~749年)に高僧・行基菩薩がこの地に寺を開いたと伝わる。 当初は真言宗の「宝地善興寺(ほうちぜんこうじ)」として創建されたが、室町時代の明応元年(1492年)、住職・智鑑(法名・念西)が本願寺第8世・蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗した。 この改宗により寺号を「養照寺」と改め、以後は西本願寺を本山とする真宗寺院として再興した。

江戸時代の宝暦8年(1758年)に編纂された「村明細帳」によると、文亀元年(1501年)から18世紀中葉までの間に11代の住職が続いた記録が残り、 養照寺が長きにわたって地域の信仰を支えてきたことがうかがえる。 山号は「善興山(ぜんこうざん)」で、本尊には阿弥陀如来の木造立像を安置する。 また、寺には狩野派絵師・勝部如春斎による『秋草に鶴図』(江戸中期作)の襖絵が伝わり、豊中市内でも文化的に貴重な美術品として知られている。

春の彼岸の頃には境内に芝桜(シバザクラ)が咲き誇り、淡いピンクと白の花が絨毯のように広がる。 その美しさから「花の寺」としても親しまれ、地域住民はもちろん、訪れる人々の心を癒している。 観光寺院としての大々的な公開は行っていないが、日中であれば自由に境内を散策でき、 歴史ある本堂や庭の草花を静かに楽しむことができる。 近年では、都市化の進む豊中の中で「隠れ古刹」として注目を集め、地域メディアでも取り上げられるようになっている。

現在も地元門徒による法要や永代経、春秋彼岸会などが行われ、 養照寺は信仰と文化が息づく寺院として静かにその歴史を刻み続けている。 訪れる人は、華美ではないが温かな信仰の場として、古き良き日本の寺院文化を体感することができるだろう。

  • 山門(正門)

    養照寺の山門は切妻造瓦葺きの落ち着いた門構えで、質素ながらも歴史を感じさせる風格を備える。 門をくぐると静かな境内が広がり、正面には白壁と瓦屋根が印象的な本堂が見える。 山門脇には「善興山 養照寺」と刻まれた石標が立ち、古刹としての由緒を伝えている。

  • 本堂

    浄土真宗寺院らしい堂々とした本堂は、広い瓦屋根と白壁が美しく調和している。 内部の厨子には本尊・阿弥陀如来像が安置され、荘厳な阿弥陀堂として静かな信仰の空気に包まれている。 非公開ながら、外観の重厚さと均整の取れた構えは訪れる者を魅了する。

  • 鐘楼(鐘つき堂)

    境内には独特な形状の鐘楼堂があり、吊るされた青銅の鐘が寺の風情を引き立てている。 参拝者からも「他では見ない形」と評される個性的な造形で、寺院の象徴的存在となっている。 鐘の音は柔らかく響き、訪れる人々に静かな安らぎを与える。

  • 庭園と季節の花

    春には境内の芝桜がピンク色の絨毯のように広がり、枝垂れ桜が咲き誇る姿が美しい。 初夏の新緑、秋の紅葉と、四季折々に境内が彩りを変える。 丁寧に手入れされた植栽と石畳が織りなす風景は、都会の喧騒を忘れさせる静けさを演出している。

  • 石碑・墓所

    境内には歴代住職の墓碑や信徒の供養塔、小さなお地蔵様が点在している。 これらの史跡は養照寺の長い歴史と地域の信仰の深さを物語り、訪れる人々に静かな敬意を抱かせる。 山門近くの石灯籠も往時の姿を留め、夜にはやさしく境内を照らす。

  • 襖絵『秋草に鶴図』

    本堂には、狩野派絵師・勝部如春斎(1721–1784)筆による襖絵『秋草に鶴図』が収められている。 四枚続きの襖に、薄(すすき)や女郎花(おみなえし)などの秋草と優雅な鶴が描かれ、金地の上に繊細な筆致で表現されている。 明和年間(1764~68年頃)の作とされ、江戸中期の狩野派美術の粋を伝える作品である。 2017年には西宮市大谷記念美術館の特別展「西宮の狩野派 勝部如春斎」に出展され、地域文化の誇りとして高く評価された。 普段は非公開ながら、その存在を感じ取るだけでも歴史と芸術の気配に触れることができる。

養照寺のあゆみ

  • 天平年間(729~749年)

    行基菩薩による創建

    寺伝によれば、行基菩薩がこの地に「宝地善興寺(真言宗)」を開いたのが始まりとされる。 奈良時代創建の古刹として、のちの養照寺の起源となる。

  • 延徳年間(1489~1492年)

    蓮如上人の布教と寺の荒廃

    蓮如上人が各地で布教を行い、浄土真宗が隆盛。 この頃、善興寺は一時荒廃していたと伝えられる。

  • 明応元年(1492年)

    智鑑(念西)による中興

    住職・智鑑(法名・念西)が入寺し、本願寺第8世蓮如上人に帰依。 真言宗から浄土真宗に改宗し、寺号を「養照寺」と改める。 以後、念仏道場として再興され、中興の開山とされる。

  • 文亀元年(1501年)~宝暦8年(1758年)

    歴代住職の継承と繁栄

    智鑑の後継が立ち、以後江戸中期までに11代の住職が法灯を継承。 「村明細帳」には、善興山養照寺として地域信仰の中心であったことが記されている。

  • 江戸時代中期(18世紀)

    信仰と教育の場としての発展

    寺子屋や講中活動の拠点として地域に定着。 豊中村の人々の心のよりどころとなり、真宗文化の中心的役割を担った。

  • 明和年間(1764~1768年)

    勝部如春斎による襖絵『秋草に鶴図』の制作

    狩野派絵師・勝部如春斎が本堂の襖絵『秋草に鶴図』を描く。 金地に秋草と鶴を描いた雅趣あふれる作品で、以後寺宝として伝えられる。

  • 明治維新(1868年)以降

    近代化と教育活動

    廃仏毀釈の影響を受けず存続。地域の集会所や学校の仮校舎として利用された可能性もある。 明治期には地域の教育文化の継承に寄与した。

  • 昭和~平成期(20世紀後半)

    戦災を免れた寺院と現代への継承

    都市化が進む中でも伽藍と墓地を守り続ける。 戦中の空襲では大きな被害を受けず、戦後は本堂や山門の修復を経て現在の姿に整備された。

  • 令和以降(21世紀)

    文化財としての再評価と地域への貢献

    芝桜の咲く美しい寺として地域に知られるようになり、訪問者が増加。 2017年には襖絵『秋草に鶴図』が美術館で展示され、文化的価値が再評価された。 現在も浄土真宗の法要や行事を継続し、地域に開かれた「花と文化の寺」として親しまれている。

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