| 寺院名 | 養善寺(ようぜんじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区花川2丁目9-28 |
| アクセス |
JR神戸線「塚本駅」西出口より徒歩約5分(約432m) 阪神本線「姫島駅」より徒歩約12分 花川バス停より徒歩約1分 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(仏教・浄土真宗) |
| 山号 | 真華山(しんげさん) |
| 本尊 | 阿弥陀如来(木造立像) |
| 拝観時間 | 9:00~16:00(無休) |
| 電話番号 | 06-6471-3408 |
養善寺は、大阪市西淀川区の住宅街に佇む浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。山号を「真華山」と称し、本尊には阿弥陀如来立像を安置しています。その歴史は古く、寺伝によれば室町時代後期(戦国時代)には当地に浄土真宗の布教道場が開かれていたと伝わります。浄土真宗中興の祖・蓮如上人による布教が広まった時代に、養善寺の前身も創始されたと考えられています。江戸時代初期の寛永年間(17世紀前半)には、本願寺より正式に寺号「養善寺」を許され、一寺として成立しました。以後、地域の門徒に寄り添いながら、念仏道場として法灯を伝えてきました。
近代以降も養善寺は西淀川の地に根ざし、信仰の拠点として存続してきましたが、昭和期の太平洋戦争では大阪市街が度重なる空襲に見舞われ、花川周辺も甚大な被害を受けました。昭和20年(1945年)3月14日未明の大阪大空襲では、養善寺も本堂や山門など伽藍の大半を焼失したと伝えられています。その際、住職が燃え盛る炎の中から本尊阿弥陀如来像を抱えて持ち出し、難を逃れたという逸話が今に残されています。戦後は門信徒の尽力により復興が進められ、昭和20年代後半までに本堂をはじめ堂宇が再建されました。現在の本堂は戦後再建の鉄筋コンクリート造で、現代的な設備を備えつつ、浄土真宗寺院らしい落ち着いた雰囲気を保っています。
浄土真宗の開かれた教えのもと、養善寺は宗教・宗派を問わず誰もが参拝できる寺院です。門前には「浄土真宗本願寺派 養善寺」と刻まれた石柱が立ち、日中は門が開放され、気軽に境内へ入って手を合わせることができます。毎月20日午後2時からは定例の法座(常例法座)が開かれ、住職による法話と念仏の勤行が営まれています。お彼岸やお盆などの年中行事も行われ、地域の人々が集い仏縁を結ぶ場となっています。現住職・安徳佳典師のもと、「誰もが立ち寄れるお念仏の道場」としての伝統を、現代に受け継いでいます。
養善寺の境内は住宅街の一角にあり、門柱と石畳によって穏やかに区切られています。門前や入口付近には季節の花を植えた鉢が飾られ、訪れる人をやさしく迎える佇まいです。掲示板には仏教の教えの一節などが掲げられ、日常の中で立ち止まって心を整える場となっています。
境内正面に建つ本堂は、戦後に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。瓦屋根風の意匠や和風の色調が施され、現代建築でありながら寺院らしい落ち着きを感じさせます。正面には寺号と宗派名を示す看板が掲げられ、開かれた念仏道場としての姿勢が表れています。
本堂内部は畳敷きの広間となっており、正面奥の須弥壇中央には阿弥陀如来像が安置されています。金色に荘厳された須弥壇と仏具に囲まれた阿弥陀さまは、参拝者が静かに手を合わせる信仰の中心です。左右には親鸞聖人の御影や蓮如上人の御文章が奉掲され、浄土真宗の伝統が息づいています。
親鸞聖人絵伝や、蓮如上人の直筆と伝わる消息文などの寺宝は、代々大切に守られてきました。これらは平常時は非公開ですが、法要や特別な機会に開帳されることがあります。希望すれば住職の案内で御本尊にお参りできる場合もあり、身近な信仰の場として親しまれています。
本堂の左右には寺務所や庫裏が配置され、境内全体は清潔に保たれています。派手な伽藍はありませんが、地域の暮らしに溶け込んだ静かな雰囲気が養善寺の魅力です。彼岸の頃には花が手向けられ、「花川」の名にふさわしく、仏の教えと花が人々を迎える空間となっています。
1475年頃
(文明7年)
室町時代後期、蓮如上人の布教活動の影響により、この地に浄土真宗の布教道場が開かれたと伝えられます。在地の門徒が集い、念仏修行を行う場として機能しました。
1630年頃
(寛永7年)
江戸幕府の安定期に、本願寺(西本願寺)より寺号「養善寺」の公称を受け、正式な寺院となりました。山号を真華山、本尊を阿弥陀如来と定め、当地浄土真宗門徒の拠点として発展します。
1843年頃
(天保14年・推定)
江戸時代末期、この頃に本堂など堂宇の再建・整備が行われた可能性が高いとされています。周辺寺院の記録からも、同時期の改築が推測されます。
1945年3月
(昭和20年)
大阪大空襲により伽藍が全焼しました。本尊の阿弥陀如来像は難を逃れましたが、本堂・庫裏・山門などは失われ、地域一帯は焼け野原となりました。
1946~1960年代
(昭和21~30年代)
戦後復興期に本堂や庫裏など主要建物が再建され、鉄筋コンクリート造の新本堂が落成しました。常例法座などの法要も復活し、門信徒の信仰の場が再び整えられました。
1981年
(昭和56年・参考)
近隣の善念寺で鐘楼修理中に江戸期建立を示す棟札が発見され、地域一帯に江戸時代の寺院文化が色濃く残っていることが再認識されました。
1989年以降
(平成)
都市化が進む中でも寺域を維持し、法要の公開や児童・高齢者向け行事への協力など、「誰でも入れるお寺」として地域に開かれた活動を続けています。
令和時代
現住職のもと、SNSやウェブサイトを通じた情報発信にも取り組み、令和5年(2023年)には戦後復興から約70年を迎えました。地域に根差した寺院として、その役割が改めて見直されています。