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青龍寺せいりゅうじ

戦国武将ゆかりの「登龍門」伝説が息づく静かな古刹

所在地 大阪府箕面市下止々呂美827
山号 蔵雲山
宗派 曹洞宗(禅宗)
本尊 十一面聖観世音菩薩
創建 天正7年(1579年)
開基 宗湛(塩山氏当主。織田信長軍に降伏後に出家)
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豊臣秀吉もくぐった出世の山門と十一面観音が迎える“龍の棲む寺”・青龍寺

青龍寺(せいりゅうじ)は、北摂・箕面山麓の豊かな自然に恵まれた静かな山里にある曹洞宗の寺院です 。安土桃山時代の天正7年(1579年)に、当時この地を治めていた止々呂美城の城主が織田信長に降伏した後に出家し、宗湛(そうたん)と号して開山しました 。寺名の「青龍」は風水の四神の一つで、寺はその名のとおり東方を守護する青龍にちなむ霊場と考えられています 。約450年の歴史を経た今も、境内には戦国時代の伝承と四季折々の美しい景観が調和し、訪れる人々を魅了しています。

  • 登龍門

    山あいの集落から青龍寺へと向かう参道には石段が続き、その先に現れる山門は「登龍門」と呼ばれています。かつて蔦で覆われた質素な門だったと伝えられ、麓の川から鯉が門をくぐって天に昇り龍になったという伝説の地です 。この門は“出世への第一の門”とも称され、天下人・豊臣秀吉(羽柴秀吉)が若き日に通りがかって祈願し、その後の大出世に繋がったとの逸話も残ります 。現在でも「龍の棲む寺」として隠れたパワースポットとなっており、多くの参拝者が出世や開運を願って訪れます 。

  • 本堂

    山門をくぐると正面に堂々たる本堂があり、内部には本尊の十一面観世音菩薩が安置されています 。十一面観音はその名の通り十一の御面を持ち、あらゆる方向の衆生の苦しみを見つけ出して救済へと導く仏様です 。歴史ある本堂のたたずまいと相まって、優しいお顔の観音さまが訪れる人々の心を静かに癒やしてくれます。境内には他にも鐘楼や石仏などが点在し、素朴で静謐な雰囲気の中で参拝や散策が楽しめます。秋には**大銀杏(おおいちょう)**の巨木が鮮やかな黄金色に色づき、紅葉した楓(かえで)とともに境内を彩ります 。夏の深緑や冬の雪景色も美しく、四季折々に表情を変える自然に包まれた境内は、歴史と調和した絶好のフォトスポットともなっています。

青龍寺のあゆみ

  • 1171~1175年
    (承安年間)

    止々呂美城の築城

    この地に止々呂美城が築かれる。以後、中世から戦国期にかけて塩山氏が城主を務める。

  • 1579年
    (天正7年)

    止々呂美城の開城と青龍寺の創建

    織田信長に反旗を翻した荒木村重討伐の一環で止々呂美城が開城し落城。城主・塩山平衛門は無血開城と引き換えに出家して僧・宗湛となり、池田城主の菩提寺であった大廣寺の僧を招いて青龍寺を開創。以後、塩山氏の菩提寺として長年地域に寄り添い、現住職で第21世を数えるまで代々受け継がれてきた。

  • 16世紀後期
    (安土桃山時代)

    豊臣秀吉の参拝と出世祈願の由来

    豊臣秀吉(羽柴秀吉)が摂丹街道を通行中、青龍寺の登龍門の話を聞き、実際に門をくぐって本堂で祈願したと伝わる。その後、天下人へと出世したことから、この逸話が寺の「出世祈願」信仰の由来となった。

  • 江戸時代~近代

    北摂の禅寺としての発展

    摂津と丹波を結ぶ街道沿いの寺として北摂地域の信仰を集める禅寺となる。明治以降の廃仏毀釈などの困難も乗り越え、寺運を維持した。

  • 2010年代
    (平成時代)

    伝統行事の継承と新たな初詣行事

    地元檀信徒と地域住民により伝統行事が継承される。平成28年(2016年)には「願い事祈願 初詣」と称した新しい初詣行事が開始され、参拝者一人ひとりの願い事を住職が本堂で祈祷する試みが始まる。以降、正月には家内安全や開運を願う参拝客で賑わうようになった。

  • 現在

    「出世第一の門、龍の棲む寺」

    境内整備や永代供養の設備も整えつつ、歴史ある本堂や山門など古刹の風情を保っている。四百年の時を超え、「出世第一の門、龍の棲む寺」として知られる青龍寺は、豊かな自然と相まってパワースポットとして注目され、歴史と癒やしを求める観光客・参拝者が多く訪れている。

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