所在地 | 大阪府池田市畑5丁目7-27 |
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TEL | 072-751-8679 |
山号 | 旭照山 |
宗派 | 浄土宗 |
院号 | 歓喜院 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
札所等 | 大坂四十八ヶ所地蔵霊場(子安地蔵尊) |
長楽寺(ちょうらくじ)は、大阪府池田市畑地区の丘陵(五月山の中腹)に位置する浄土宗の寺院です。山号は「旭照山(きょくしょうざん)」、院号は「歓喜院」で、正式には旭照山 歓喜院 長楽寺と称します。本尊は阿弥陀如来で、境内から池田市街を一望できる高台にあり、夜景の隠れたビュースポットとしても知られています。創建の経緯は明らかではありませんが、江戸時代には庶民信仰の「大坂四十八ヶ所地蔵霊場」の札所として地域に親しまれてきました。現在は寺院墓地(長楽寺霊園)を併設し、地域の檀信徒に利用されています。
長楽寺の本堂は寺の中心となる礼拝堂であり、阿弥陀如来像を安置しています。現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで、正面に瓦棒葺き風の屋根を持つ近代的な外観です(写真では淡い土壁色の外壁と緑青色の屋根が確認できます)。昭和後期に再建されたため伝統的木造建築の趣は残っていませんが、正面入口上部には寺号を書いた黒地金文字の扁額(「長楽寺」と刻まれた額)を掲げています。内部には本尊の阿弥陀如来をはじめ諸仏が安置され、法要・法事の際に地域檀信徒が参詣する空間となっています。近代的な造りとはいえ堂内は畳敷きで仏堂の格式を保っており、荘重な雰囲気の中で阿弥陀如来への礼拝が行われます。
長楽寺には伝統的な山門(楼門や仁王門)は存在せず、境内入口は石造門柱と鉄製の開き門扉によって区画されています。門柱は丸石を積み上げた凝灰岩風の意匠で、右側の門柱に「浄土宗 長楽寺」と記された表札が掲げられています。左側には昭和37年建立の石碑が据えられており、碑面に刻まれた文字から当地域が「呉羽の里」と呼ばれる織物伝承地であることを示しています。門を入るとそこはそのまま寺院墓地(長楽寺霊園)の敷地になっており、参道は墓石の並ぶ中を通って本堂へと緩やかに上っています。このように山門らしい山門はなく、寺域全体が開放的に周囲と接している点が長楽寺の特色です。境内はよく整備されており、墓地越しに市街地を見渡せる高台に位置するため、参拝者は季節によっては美しい眺望も楽しむことができます。
長楽寺の本尊は阿弥陀如来坐像です。像高や制作年代は不詳ですが、木彫の伝統的な阿弥陀如来像であり、穏やかな表情で西方極楽浄土への導きを象徴しています。浄土宗の寺院であることから、本尊阿弥陀如来は開山以来の信仰の中心で、往生極楽を願う念仏信仰の対象となっています。 本堂外には子安地蔵尊(こやすじぞうそん)と呼ばれる地蔵菩薩像が安置されています。子安地蔵は安産や子供の健やかな成長を守護する仏として信仰されており、長楽寺の地蔵尊は江戸時代から地域住民に親しまれてきました。
※境内の地蔵堂は設けられていませんが、石碑「永代塔」とともに屋外に祀られた地蔵尊に、今も安産を願う人々がお参りしています。
※大坂四十八箇所地蔵霊場…江戸時代に大阪近郊で整備された48体の地蔵菩薩巡礼。長楽寺の子安地蔵のように安産子育てのご利益で知られる地蔵も含まれていた。長楽寺も霊場の一つとして、多くの参詣者を受け入れた歴史を持つ。
江戸時代
(18世紀頃)
江戸時代後期、庶民信仰として始まった「大坂四十八ヶ所地蔵霊場」において、当寺の子安地蔵尊が札所の一つに数えられた。地域の人々は安産や子供の守護を祈願し、巡礼で長楽寺を訪れたと伝えられる。
1962年
(昭和37年)
昭和37年、長楽寺の参道入口に石碑が建立された。この石碑は「呉羽の里住宅地」の開発記念として北摂開発株式会社によって建てられたもので、畑地区の歴史と土地開発を示す碑となっている。
昭和後期
(20世紀後半)
20世紀後半(昭和末期頃)、老朽化した本堂の建て替えが行われ、鉄筋コンクリート造の近代的な本堂が再建された。現在の本堂はこの時に新築されたもので、従来の木造本堂に替わり耐久性の高い建物となっている。