所在地 | 大阪府池田市鉢塚3-4-6 |
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TEL | 072-761-8761 |
山号 | 鉢多羅山(はったらさん) |
寺号 | 若王寺(にゃくおうじ) |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい)坐像(伝平安時代作) |
創建 | 神亀元年(724年) |
開基(創立者) | 行基菩薩 |
通称 | 尊鉢厄神(そんぱちやくじん) |
札所 | 摂津国八十八ヶ所霊場 第57番札所 |
釈迦院(しゃかいん)は、大阪府池田市鉢塚にある高野山真言宗の寺院で、正式には鉢多羅山(はったらさん)若王寺(にゃくおうじ)釈迦院と称する。行基菩薩が神亀元年(724年)に開創した聖武天皇勅願寺であり、古くから「厄神さん(尊鉢厄神)」の通称で地域に親しまれている。本尊には釈迦如来坐像を祀り、厄除開運の寺として知られる。毎年1月18・19日の厄除大祭(厄神祭)には特別祈祷が行われ、多数の参拝者で賑わう。
竜宮造の華やかな様式をもつ正門で、唐破風を備えた四脚門になっている。通常の寺院の仁王門とは異なり、門の左右内部には金剛力士像の代わりに風神・雷神像が安置されている。彩色や彫刻が施された優美な門で、境内への入口を飾っている。
ヒノキ材を用いた入母屋造の堂宇で、平成12年(2000年)に新築された比較的新しい建物である。創建当初より伝わる本尊の釈迦如来坐像(木造、平安時代作と伝わる)を安置し。創建当初より伝わる本尊の釈迦如来坐像(木造、平安時代作と伝わる)を安置し。真言宗の寺院では本尊に大日如来を据えることが多いが、当寺では釈迦如来を本尊とする点が特徴的である。
本堂とは別棟の堂宇で、不動明王立像が祀られている。毎週日曜日にはこの護摩堂で護摩祈祷(護摩法要)が厳修され、炎による祈りで家内安全や商売繁盛などを祈願する道場となっている。
当寺の守護神を祀る社殿で、本殿・拝殿・御供所から成る神社風の構えを持つ。創建時から境内鎮守であった八幡宮(現在の五社神社)の流れを汲み、そこに併せ祀られていた厄神明王(やくじんみょうおう)と延命地蔵菩薩を祀る堂宇である。これらの守護尊は厄除の御利益で信仰を集め、寺の通称「尊鉢厄神」の由来となっている。毎年1月の厄除大祭ではこの厄神殿で特別祈祷が行われる。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ、別名・智恵福禄の虚空蔵尊)を安置する小堂。学業成就や智恵授けの祈願所とされる。境内の一角にあり、学生や受験生が参拝する姿も見られる。
方形造の屋根をいただく鐘楼。内部の梵鐘(釣鐘)は寛永9年(1632年)鋳造で、銘文から摂津国多田の鋳工・藤原朝臣田端四郎右衛門尉正重の作と判明している。桃山時代の特徴をよく伝える作品で、池田市内最古の鐘として市指定文化財に指定されている。
境内に遺る花崗岩製の石塔で、藤原景正の墓と伝えられる。高さ約1mで基礎部分の格狭間(こうざま)に三茎の蓮華文様を表す点に特徴があり、鎌倉時代の作と推定される。関西地方の宝筐印塔の代表例として評価が高く、昭和10年(1935年)に国の「重要美術品」に認定された(重要文化財の前身にあたる指定制度)。
724年
(神亀元年)
伝承によれば、神功皇后が新羅遠征の凱旋時に仏舎利・袈裟・鉄鉢の三つの宝物をこの地に埋納し、後世の仏法興隆に託したという。奈良時代に行基が巡錫中にこの伝承を夢告により知り、発掘された宝物を朝廷に報告したところ勅命で堂宇が建立され、寺号「若王寺」を賜ったと伝えられる。以後、若王寺は広大な寺領の寄進を受けて繁栄した。
鎌倉時代ー
若王寺が真言宗の寺院であった影響から、境内鎮守の八幡宮にも密教色が取り入れられる。八幡宮の背後にある史跡・鉢塚古墳の石室内に十三重石塔(石造宝塔)を建立し、五社大明神と号して五仏(五智如来)を本地仏とする神仏習合の信仰形態が整えられた。
1573年
(天正元年)
織田信長の軍勢が当地に侵攻した際の戦禍で、寺域の堂宇がことごとく焼き払われ、釈尊の鉄鉢を除く寺宝の大半が失われた。
1589年
(天正17年)
往時の規模には及ばなかったが、本尊の釈迦如来を奉安していた若王寺東坊を「釈迦院」と号し、若王寺一山の法灯を継承する道場とした。この復興により寺運が再興され、以後「釈迦院」が寺院名として定着した。
1592年頃
(文禄年間)
このとき八幡宮に併祀されていた厄神明王と延命地蔵への信仰が高まり、厄除けの寺として「尊鉢厄神釈迦院」の名が広く知られる契機となったとされる。
1632年
(寛永9年)
この梵鐘(現存)は江戸時代初期の作で、鋳工名や年号が刻まれている。後に池田市内最古の鐘として文化財に指定され、現在も鐘楼堂に吊るされている
1868年
(明治元年)
以後、八幡宮は神社として独立し、釈迦院側では厄神明王と延命地蔵の信仰のみが残された。廃仏毀釈の荒波の中でも釈迦院は存続し、寺としての信仰を守り抜いた。
1935年
(昭和10年)
藤原景正の墓と伝わるこの塔は関西の石塔の名品として評価され、戦後の文化財保護法施行後も貴重な文化財として保存されている。
2000年
(平成12年)
総檜造りの入母屋造本堂となり、現代的な設備を備えつつ伝統的意匠を踏襲した堂宇が完成した。併せて境内整備も行われ、現在に見る釈迦院の伽藍配置が整えられた。