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超光寺ちょうこうじ

弘仁年間(9世紀初頭)創建、那須与一ゆかりの伝承を持つ浄土真宗本願寺派の古刹

所在地 大阪府豊中市箕輪1丁目24-5
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
山号 那須原山(なすはらざん)
本尊 阿弥陀如来
創建 弘仁年間(810~824年)頃〔寺伝〕
ゆかりの人物 那須与一宗高(源平合戦の武将)

真言宗から浄土真宗へ改宗し、那須原山の名とともに地域に伝承と信仰を今に伝える歴史寺院

超光寺(ちょうこうじ)は、大阪府豊中市箕輪にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、静かな住宅街の一角に佇む古刹である。 創建は平安時代初期・弘仁年間(9世紀初頭)にまで遡ると伝えられ、当初は真言宗の寺院として建立されたとされる。 その後、鎌倉時代の源平合戦で活躍した那須与一宗高ゆかりの寺として知られるようになった。 元暦2年(1185年)、屋島の戦いで「扇の的」を見事に射落とした那須与一が戦後に出家し、この寺で仏門に入ったという伝承が残されている。

那須与一が出家した際、寺はその姓にちなんで山号を「那須原山(なすはらざん)」と改めたと伝えられ、これを契機に寺運が大いに栄えた。 中世以降は時代の変化とともに真言宗から浄土真宗本願寺派へと改宗し、現在では西本願寺を本山とする門徒寺院として地域に根ざしている。 長い歴史の中で数多くの逸話や文化的遺産を伝えており、那須与一伝承の地としても名高い。 その歴史的背景から、仏教文化や日本史に関心を持つ人々にとって興味深い訪問先となっている。

  • 山門(三門)

    境内入口には堂々とした鐘楼門造りの山門(三門)が構えられ、梁上の額には山号「那須原山」の文字が掲げられている。 落ち着いた木造建築の門をくぐると、石畳の参道の正面に本堂が見え、静謐な雰囲気に包まれる。 境内は清掃が行き届き、緑豊かな環境の中で訪れる人々は穏やかな時間を過ごすことができる。

  • 本堂

    本堂は浄土真宗寺院らしい質実な木造瓦葺きの建物で、本尊の阿弥陀如来像を安置する。 特筆すべきは、正面扉に大きく彫刻された「十六八重表菊(菊花紋章)」である。 寺伝によれば、この菊紋は源平合戦の功績を後鳥羽天皇に認められた那須与一宗高が使用を許されたものとされる。 皇室の御紋章が寺院建築に刻まれているのは極めて珍しく、与一と朝廷の繋がりを今に伝える貴重な文化的痕跡である。

  • 庭園と参道

    山門をくぐると静寂な石畳の参道が本堂へと続き、周囲には手入れの行き届いた植栽が配されている。 山門越しに望む本堂と庭の調和は美しく、歴史を感じさせる景観が広がる。 春には新緑、秋には紅葉が映える境内は、訪れる人々に癒しと安らぎを与える。

  • 寺史と由緒を伝える碑

    境内には寺の由来や那須与一にまつわる伝承を記した案内板や石碑が設置されている。 訪れる人は案内板を通して寺の歴史を学び、屋島合戦や那須家の伝承に触れることができる。 歴史的背景と静かな環境が調和した境内は、古代から続く信仰と物語を感じる空間となっている。

  • 墓地と境内環境

    超光寺には檀信徒の墓地も併設され、整然と並ぶ墓碑が静寂の中に立ち並ぶ。 寺域は清掃が行き届き、緑が多く配されており、訪れる人々が心穏やかに過ごせる空間を保っている。 派手さはないが、歴史と自然が調和した穏やかな雰囲気が漂う。

超光寺のあゆみ

  • 弘仁年間(810~824年)

    寺院の起源

    寺伝によれば、平安時代初期の弘仁年間に当寺の起源となる道場が開かれたとされる。 創建当初は真言宗の寺院であり、古代から続く修行と信仰の場であったと伝えられている。

  • 元暦2年(1185年)

    那須与一宗高の出家伝承

    源平合戦・屋島の戦いで「扇の的」を射落とした那須与一宗高が、戦勝後に当寺を訪れ住職・空心に帰依し出家したと伝えられる。 この時、与一は弓矢を奉納し、寺ではその功績を称えて山号を「那須原山」に改めたという。 寺の歴史と那須氏の伝承が結びつく象徴的な出来事である。

  • 鎌倉時代中期(13世紀)

    那須家ゆかりの僧による中興

    伝承によれば、那須与一の子孫・那須太郎が出家して「空覚」と名乗り、当寺の中興の祖となった。 以後も那須氏ゆかりの僧が代々住持を務め、武家の血脈が仏門で受け継がれたと語り継がれている。

  • 室町~安土桃山時代

    浄土真宗への転宗

    戦国期までに本願寺教団との関係を深め、教線拡大の流れの中で浄土真宗寺院へと改宗したと考えられる。 豊臣秀吉の時代には大阪石山に本願寺があったことから、北摂地域における本願寺派の一寺として活動した可能性が高い。

  • 江戸時代

    地域に根差した門徒寺院として発展

    浄土真宗本願寺派の寺院として定着。 檀家の菩提寺として法要や行事を行い、寺子屋教育にも関わったと伝えられる。 村落の中心として地域信仰の礎を築いた。

  • 明治維新後(1868年~)

    近代への転換と教育活動

    廃仏毀釈を乗り越えて存続し、宗教法人格を取得。 戦後には境内に幼稚園を開設するなど、教育面でも地域社会に貢献した。 『豊中歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)にも記録が残る。

  • 現代(令和時代)

    地域と歴史を伝える古刹

    現在も一般参拝が可能で、境内は自由に見学できる(本堂内拝は法要時のみ)。 豊中市の歴史散策コースの一部として紹介され、那須与一伝説や浄土真宗の歴史を学べる場として注目されている。 年中行事として報恩講や彼岸会を厳修し、地域住民に親しまれる大阪北部の知られざる古刹である。

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