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誓願寺せいがんじ

原田城ゆかりの地に500年の歴史を刻む、浄土真宗大谷派の古刹

所在地 大阪府豊中市原田元町2-4-8
宗派 浄土真宗大谷派(東本願寺系)
本尊 阿弥陀如来(推定)
創建 文亀元年(1501年)
開基 渡邊治郎左衛門(法名・教覚) – 本願寺第9世・實如上人の門弟

村とともに歩み、一向一揆の記憶と鐘の音を今に伝える「自然山 誓願寺」

誓願寺(せいがんじ)は、大阪府豊中市原田地区にある浄土真宗大谷派(東本願寺系)の寺院で、戦国時代から地域に根差す歴史ある古刹である。 その創建は文亀元年(1501年)に遡り、本願寺第九世・實如上人の門弟であった地元の農民・渡邊治郎左衛門(法名:教覚)によって開かれたと伝えられる。 以来、江戸時代に至るまで原田村の中心寺院として機能し、村民の信仰の拠点となった。

戦国期には、誓願寺が位置する一帯を治めた原田城(はらだじょう)との関係が深く、天文年間(1532~1555年)の細川晴元軍と本願寺軍の紛争では、 原田城が本願寺勢力側に加担した記録が残る。このことは、原田地区と本願寺教団との結びつきの強さを物語っている。 また、誓願寺を中心に中世末期には寺内町として原田村が形成された可能性も指摘されており、地域の宗教・社会構造において重要な役割を果たしていたことがうかがえる。

現在の誓願寺は、豊中市内の住宅街の中に静かに佇み、観光寺院というよりも地元門徒のための地域寺院としての性格を強く持っている。 一般拝観の時間や受付は特に設けられていないが、境内外からは歴史を感じさせる伽藍の一端をうかがうことができる。 周辺には原田城跡や旧羽室家住宅(原田しろあと館)など、豊中市の歴史的文化財が点在しており、誓願寺もそれらとともに地域の歴史を今に伝えている。 これらの史跡と併せて巡ることで、戦国から近世にかけての原田の歴史ロマンを感じることができるだろう。

  • 山門(正門)

    質素ながら風格のある山門が境内の正面に構えられており、 その奥に本堂が静かに佇む。参道脇には「誓願寺」と刻まれた寺号碑が立ち、 今もなお地域の浄土真宗信仰の中心であることを伝えている。 山門越しに見る本堂の景観は、歴史の重みと静寂を感じさせる。

  • 本堂

    現在の本堂は近現代に再建された二階建ての堂宇で、外観は民家風ながらも内部には 阿弥陀如来像と親鸞聖人の御影が安置されている。 法要や年中行事の際には多くの門徒が集い、念仏の声が響く荘厳な空間となる。 木の温もりと柔らかな光が調和した堂内は、参拝者に安らぎを与える場所である。

  • 鐘楼堂(しょうろうどう)

    宝暦4年(1754年)に建立された江戸中期の鐘楼堂は、誓願寺の象徴的建造物。 入母屋造の小堂に吊るされた梵鐘は、村の昼夜の合図や除夜の鐘などに用いられ、 数百年にわたり地域の暮らしとともに音を響かせてきた。 今もその音色は、原田の地に時を告げる文化遺産として親しまれている。

  • 石仏・供養塔

    境内には歴代住職の供養塔や地蔵尊など、数多くの石仏が安置されている。 それぞれが誓願寺と原田の歴史を見守ってきた証であり、 境内を歩けば過ぎし時代の信仰の重みが感じられる。 石碑や植栽が整えられた空間は、訪れる人の心を静かに癒してくれる。

  • 周辺の史跡

    寺の西側には中世期に開削された灌漑用水路「原田井(九名井)」が流れ、 原田・曽根・桜塚など九か村の田畑を潤した名残を今に残している。 また、集落内の道には敵の侵入を防ぐための「鍵の手」と呼ばれる直角に曲がる道が多く、 中世城下町や寺内町の街路構造が現在もそのまま残っている。 境内と周辺をあわせて巡ることで、戦国から江戸期にかけての原田の歴史風景を体感できる。

誓願寺のあゆみ

  • 1501年(文亀元年)

    誓願寺の創建

    本願寺第九世・實如上人の門弟であった渡邊治郎左衛門(法名・教覚)ら地元門徒により開基。 原田村の中心に誓願寺が創建され、村の氏寺・道場として栄える。 原田氏の居城・原田城とともに、寺内町的な集落形成の核となった。

  • 1530年代(天文年間)

    天文の錯乱と原田城の抗争

    細川晴元と本願寺勢力の抗争(天文の錯乱)が勃発。原田城主は本願寺方として参戦し、 誓願寺も一向一揆の拠点の一つとしてその勢力下にあったと推察される。 戦乱により原田城は攻囲を受けるも、地域の真宗信仰は守られ、寺と村の結束がさらに強まった。

  • 1754年(宝暦4年)

    鐘楼堂の建立

    江戸中期、寺観整備が進み、宝暦4年に鐘楼堂を建立。 入母屋造の小堂に吊るされた梵鐘は現在まで現存し、 豊中市内でも屈指の古い寺院建造物として文化的価値を有する。

  • 明治初期(1868年以降)

    廃仏毀釈と寺院の存続

    明治維新後の廃仏毀釈の中でも当寺は存続し、真宗大谷派寺院として再興。 地域の檀信徒の支えにより法要が継続され、寺子屋や集会所としての役割も果たしたと伝わる。

  • 昭和戦後期

    原田の歴史的ランドマークとしての再評価

    戦後の都市化により周辺は住宅街となるも、誓願寺は原田地区の歴史的象徴として残存。 1963年に原田城跡が市指定史跡、2007年には旧羽室家住宅(原田しろあと館)が国登録文化財に指定され、 誓願寺もそれらとともに地域の歴史探訪ルートの一角を担うようになった。

  • 現在(21世紀)

    創建500年を超えて

    創建から500年以上を経た現在も、報恩講や盂蘭盆会などの年中行事が厳修され、 地域の門徒による信仰と伝統が受け継がれている。 山門や鐘楼は外観から見学可能で、原田城跡と並ぶ歴史的名所として注目されている。 豊中市教育委員会や郷土史家による案内板にも紹介され、 地域文化財として今も大切に守られている。

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