所在地 | 大阪府吹田市南高浜町7-6 |
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TEL | 06-6381-5143 |
宗派 | 浄土宗 |
山号 | 高浜山 |
創建 | 天平10年(738年)(寺伝) |
本尊 | 阿弥陀如来 |
文化財等 | 五輪塔(鎌倉時代・正応6年〈1293年〉造立) |
アクセス | 阪急京都線 相川駅西出口から徒歩約10分 |
観音寺は創建伝説では奈良時代に遡るとされる古刹ですが、実史としては中世以降に記録が残っています。鎌倉時代、この寺の墓地には正応6年(1293年)の紀年銘をもつ五輪塔が建立されました。台座の銘文から、興福寺の雅楽師・狛近垂が母の供養のために建てたものと伝わり、現存する五輪塔としては日本でも最古級の年代を誇る貴重な石造遺構です。吹田の中世史を物語る文化財として、今なお大切に伝えられています。
室町時代から安土桃山時代にかけて一帯は戦乱により荒廃しましたが、江戸時代に心誉上人によって再興されました。それまで法相宗系の寺院でしたが、この中興以降は浄土宗に改められ、現在に至っています。寺伝によれば、浄土宗の開祖・法然上人が鎌倉時代に一時逗留したことが改宗の由縁とも伝えられています。江戸中期の地誌『摂津名所図会』には「本尊は行基作の聖観音であったが、心誉上人の中興以降は阿弥陀如来を本尊とする」と記され、現在の本堂には阿弥陀如来像が安置されています。
また、『摂津名所図会』には境内近くの菖蒲池に「小女郎狐」を祀る小女郎稲荷の祠があったことも記されています。これは地域に伝わる狐の伝説に由来するもので、長らく民間信仰の場として親しまれましたが、残念ながら祠と鳥居は平成27年(2015年)に撤去されました。往時にはこうした信仰も息づいていたことが窺え、観音寺が地域と深く結びついてきた歴史を物語っています。
観音寺の本堂は白壁に黒瓦を載せた落ち着いた佇まいの建物で、内部には浄土宗の本尊・阿弥陀如来像が安置されています。 荘厳な内陣には仏具や歴代住職の位牌が並び、参拝者は静かに手を合わせることができます。創建伝説にちなむ観音菩薩像も伝えられていましたが、現在は阿弥陀如来が主尊となっています。
境内入口に立つ伝統的な木造の山門。切妻造の屋根をいただいた質素な門で、正面の扁額には「高浜山」の寺号が掲げられています。 門をくぐると石畳の参道が本堂へと続き、境内全体に静謐な空気が漂います。訪れる際にはまずこの山門を潜り、古寺の雰囲気を味わってください。
本堂脇に建つ小ぶりな鐘楼。四本柱で支えられた楼造の内部に梵鐘が吊るされ、大晦日には除夜の鐘が撞かれます。 普段は静かに佇みますが、年の瀬には近隣の人々が集まり、新年への願いを込めて鐘の音を響かせます。秋には周囲の紅葉が美しく彩ります。
本堂裏手の墓地に建つ高さ約1.2メートルの五輪塔。鎌倉時代・正応6年(1293年)の建立で、日本でも最古級の年代を持つ石造供養塔です。 基壇の四方には梵字が刻まれ、西面には「正応六年癸巳正月廿八日」の紀年銘も確認できます。風化が進むものの、当時の石工技術と信仰心を伝える貴重な遺構です。※墓地内にあるため、見学の際は礼を尽くしましょう。
境内には石仏や石碑、歴代住職や檀家の供養塔が点在します。春には花々が咲き、特に門前の桜と本堂の景観は見事です。 秋のお彼岸やお盆の法要には多くの参拝者が集い、地域に根差した寺院として人々の心の拠り所であり続けています。
738年
(天平10年)
寺伝によれば、光明皇后の発願により行基が聖観音像を安置して開創。初めは法相宗の寺院として創建されたと伝えられる。
1293年
(正応6年)
興福寺の雅楽師・狛近垂が母の供養のため五輪塔(石造の供養塔)を建立。現存する五輪塔に刻まれた紀年銘により判明。
13世紀末~14世紀初頭
(鎌倉時代)
浄土宗の開祖・法然上人が一時当地に寓居したとの伝承が残る。この頃から徐々に浄土宗の影響が広がったともいわれる。
17世紀中頃
(江戸時代)
心誉上人(真誉 文作)が中興開山となり観音寺を再興。寺は正式に浄土宗へ改宗され、本尊も阿弥陀如来に改められた。
1798年
(寛政10年)
江戸時代の地誌『摂津名所図会』に観音寺が掲載。当時の本尊や宗派、中興の経緯、小女郎稲荷の存在などが記録されている。
2015年
(平成27年)
境内にあった小女郎稲荷の祠と鳥居が老朽化のため撤去。130年以上続いた境内社だったが、現在は跡地のみとなっている。