| 寺院名 | 易往山 浄土院 西福寺(さいふくじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市北区兎我野町2-3 |
| 宗派 | 浄土宗(知恩院末) |
| 山号 | 易往山 |
| 院号 | 浄土院 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 開基 | 霊誉義空上人(心誉龍牙上人) |
| 創建 | 文禄4年(1595年)伝承/慶長17年(1612年)開創 |
西福寺(さいふくじ)は、大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院で、慶長17年(1612年)に開創されたと伝えられます。山号は「易往山(えきおうざん)」と称し、“極楽浄土へ往きやすい”という浄土教の願いを込めた名が付けられています。寺号の「西福寺」も「西方極楽の福徳」を意味し、浄土宗寺院らしい由緒を持つ名称です。
開基の心誉龍牙上人は相模国鎌倉の出身で、16歳で名僧・幡随意上人の弟子となり、江戸下谷の幡随院などで修行を重ねました。その後、師の命により大坂へ派遣され布教活動を行い、この地に西福寺を創建したと伝えられています。西福寺は知恩院を本山とする浄土宗寺院であり、江戸初期には浄土宗の布教拠点として重要な役割を担いました。
境内には、江戸時代の著名な連歌師・俳人である西山宗因の墓所が残されていることでも知られています。宗因は談林派の代表的俳人として名を馳せた人物であり、その墓所が西福寺にあることから文学史的にも注目される寺院です。
現在の西福寺は外観が近代的な建物に建て替えられており、正面門は常時閉ざされています。そのため一般参拝は受け付けておらず、境内へ立ち入ることはできませんが、歴史的な由緒と名僧の系譜を受け継ぐ寺院として静かに地域に息づいています。
西福寺の山門は通りに面して建ち、朱色(エンジ色)の格子戸が印象的です。鉄製の格子が施された堅牢な造りで、門扉は常時閉ざされ非公開。外観は改装されており、伝統的寺院門よりも現代的な雰囲気が漂います。
天満の大火で伽藍を失った後、天保11年(1848年)に木造瓦葺きの本堂が再建され、戦災にも耐え残りました。しかし近代以降の改修により、現在の本堂は白壁の鉄筋コンクリート造に近い外観へと変化。内部には阿弥陀如来を安置する内陣が残り、寺院としての機能が守られています。
境内墓地には多くの著名人の墓が祀られています。談林派の祖・西山宗因の供養塔は元禄元年(1688年)建立と伝わり、水野南北の墓碑も残されています。また、大阪を代表する絵師・森狙仙および森派一門の墓も所在し、寺院が地域文化に深く関わってきた歴史を物語ります(一般公開はされていません)。
1595年
(文禄4年)
霊誉義空上人によって当寺の前身が創建されたと伝えられる。のちに心誉龍牙上人と号する義空上人の初期の布教拠点であったとみられる。
1612年
(慶長17年)
義空上人(心誉龍牙上人)が大坂の地に西福寺を開創。現在はこの年を正式な創建年としている。
1615年
(元和元年)
大坂夏の陣による戦災で多くの寺院が焼失。当寺も一時的に別地に仮堂宇を設け、布教活動を継続した。
1617年
(元和3年)
徳川幕府による寺町整備政策に伴い、西福寺は天満西寺町(現・兎我野町付近)に正式な寺地を得て伽藍を再興。以後、天満の地で浄土宗寺院としての法灯を伝える。
1848年
(天保11年)
天満の大火で伽藍が全焼。天保~弘化年間にかけて本堂をはじめ主要堂宇が再建され、この時期を当寺の中興期とみなすこともある。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲で周辺一帯が被災する中、西福寺は幸い延焼を免れ、江戸期再建の堂宇が戦後まで残る。のちの都市復興により改築が進み、現在の姿へと至る。