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西福寺さいふくじ

延慶元年(1308年)創建、伊藤若冲ゆかりの襖絵を伝える豊中の名刹

所在地 大阪府豊中市小曽根1-6-38
電話 06-6332-9669
宗派 浄土真宗本願寺派
備考・特徴 毎年11月3日に伊藤若冲の襖絵等の寺宝が限定公開される
住職:榎原清了

七百年の法灯を守り続け、「仙人掌群鶏図」「蓮池図」など若冲の傑作を今に伝える松の寺

西福寺(さいふくじ)は、大阪府豊中市小曽根にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、創建は鎌倉時代後期の1308年(延慶元年)と伝えられる。 開山は僧・乗雲(じょううん)で、源頼信の子孫・榎原頼貞の長男・頼愨(よりかた、のちの道念)によって開かれた。 当初は天台宗の寺院であったが、1318年(文保2年)に乗雲が本願寺第三世・覚如に帰依し、浄土真宗に改宗。 以来、西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院として、七百年以上にわたり信仰を受け継いでいる。

室町時代には南北朝の争乱を経ながらも存続し、境内には康永元年(1342年)造立の宝篋印塔の基礎が残る。 戦国時代の石山合戦(1570年代)では本願寺勢力の一寺として戦火の影響を受けたと伝わる。 江戸中期には本堂が焼失したが、檀信徒の力によって再建され、その際に植えられた黒松の古木「扇松(おうぎまつ)」が現在も境内に枝を広げている。 この松は上空から見ると扇を広げたような形を成し、「松の寺」として親しまれる所以である。

江戸後期の天明8年(1788年)、京都の大火(天明の大火)で多くの作品を失った絵師・伊藤若冲が、檀家であった薬種商・吉野五運の招きにより西福寺に滞在。 約1年にわたり寺に身を寄せ、その間に75歳の若冲によって本堂の襖絵「仙人掌群鶏図(せんにんしょうぐんけいず)」など4点の名作が描かれた。 これらの作品は現在、国指定重要文化財に指定されており、毎年11月3日(文化の日)に虫干しを兼ねて一般公開される。 全国から多くの参拝者が訪れる人気行事となっており、西福寺は「若冲ゆかりの寺」として広く知られている。

明治維新後の廃仏毀釈を経ても寺号を保ち、近代以降も地域信仰の中心として存続。 現在も、伊藤若冲の襖絵をはじめとする文化財を守りながら、歴史と芸術が共存する浄土真宗寺院として豊中の文化的象徴となっている。

  • 仙人掌群鶏図(さぼてんぐんけいず)

    伊藤若冲の代表作であり、西福寺を象徴する文化財。六面続きの金地襖に闘鶏や仙人掌を描いたもので、若冲75歳時の傑作とされる。 両端にはサボテンやひよこ、中央には雄鶏が配され、裏面の「蓮池図」と呼応する構図を持つ。 若冲作品の中でも唯一の金地襖絵として知られ、国指定重要文化財に指定。毎年11月3日の特別公開日にのみ実物を拝観できる。

  • 蓮池図(れんちず)

    「仙人掌群鶏図」の裏面に描かれていた水墨画で、墨一色による蓮の花と葉が幽玄に表現されている。 修復の際に独立した掛軸として表装され、現在は6幅に分かれて保存。 生と死、現世と浄土を象徴する静謐な作品で、若冲晩年の精神性を映すと評される。こちらも国指定重要文化財。

  • 山水図

    寛政2年(1790年)制作の若冲による水墨山水画。宗教的な題材を背景に、山門や僧侶らしき人物が描かれている。 「仙人掌群鶏図」「蓮池図」との技法的共通点が多く、三作一連の制作と推定される。 豊中市指定文化財を経て、2022年に国の重要文化財追加指定が答申された。

  • 野晒図(のざらしず)

    1794年制作の晩年作で、骸骨を題材にした異色の掛軸。 若冲が晩年に到達した「生死観」を象徴する作品として知られ、美術愛好家の間でも高く評価されている。 山水図とともに市指定文化財級の貴重な寺宝として保存されている。

  • 石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)基礎

    南北朝期・康永元年(1342年)の銘を刻む石塔基壇で、豊中市指定文化財。 現存する塔身は基礎部分のみだが、14世紀の西福寺信仰の痕跡を伝える貴重な史跡。 境内の一隅に保存され、往古の信仰を今に伝えている。

  • 本堂(阿弥陀堂)

    江戸中期再建の入母屋造瓦葺き本堂。内部正面に阿弥陀如来像を安置し、左右の襖には若冲筆「仙人掌群鶏図」が嵌め込まれている。 金箔の輝きと仏堂の荘厳が一体となり、特別公開日には多くの参拝者が訪れる。 法要時には阿弥陀如来と若冲絵が調和する独特の空間が広がる。

  • 山門(入口門)

    住宅街の中にひっそりと建つ一間一戸の門。扁額に「西福寺」と掲げられ、静かな風格を保つ。 通常は裏手からの参拝となるが、門前の注意書きに地域との調和を感じる。 境内の静謐な雰囲気への導入部として、訪れる人を穏やかに迎える。

  • 鐘楼(鐘つき堂)

    小規模な鐘楼堂に銅鐘を吊るし、朝夕の時報として鳴らされる。 素朴ながらも長い歴史を感じさせる佇まいで、西福寺の法灯を支える日常の象徴。 除夜の鐘や法要の際には、その音が静かな街並みに響く。

  • 扇松(おうぎまつ)

    江戸中期の本堂再建記念に植えられた黒松の古木。 枝が四方に広がり、上から見ると扇の形を成すことから「扇松」と呼ばれる。 約350年を経た老松で、支柱によって支えられながら今も生き続ける。 扇松越しに見る本堂の姿は西福寺の象徴的な景観として知られる。

  • その他の見どころ

    境内には六地蔵石仏や歴代住職の墓碑、江戸期の虹梁彫刻などが残る。 楠や椿の古木が茂る小庭には四季の彩りが溢れ、木漏れ日が石畳に映える。 西福寺全体が美術と信仰が融け合う静寂な空間となっており、訪れる人に深い安らぎを与える。

西福寺のあゆみ

  • 1308年(延慶元年)

    西福寺の創建

    榎原乗雲により天台宗の寺院として創建。源頼信の子孫・榎原頼貞の長男・頼愨(道念)がこれを支えたと伝わる。

  • 1318年(文保2年)

    浄土真宗への改宗

    開山・乗雲が本願寺第三世・覚如に帰依。これにより西福寺は浄土真宗本願寺派に改宗し、西本願寺を本山とする寺院となる。

  • 1342年(康永元年)

    宝篋印塔の建立

    南北朝時代のこの年に造立された宝篋印塔の基礎石が現存。豊中市指定文化財として保存されており、中世の信仰を今に伝える。

  • 17世紀後半(江戸中期)

    本堂焼失と扇松の植樹

    火災で本堂が焼失。その後再建され、記念として境内に「扇松(おうぎまつ)」が植えられた。 現在も寺の象徴として枝を広げ、「松の寺」として親しまれている。

  • 1788年(天明8年)

    伊藤若冲、西福寺に滞在

    京都で天明の大火に遭った絵師・伊藤若冲が、檀家・吉野五運の支援を受けて西福寺に避難。約1年間滞在した。

  • 1789年(寛政元年)

    若冲筆「仙人掌群鶏図」制作

    若冲75歳の時の作で、金地に描かれた闘鶏図。裏面には墨絵「蓮池図」が描かれており、いずれも国指定重要文化財に指定されている。

  • 1790年(寛政2年)

    若冲筆「山水図」制作

    若冲が滞在中に描いた水墨山水画。後に豊中市指定文化財となり、2022年には国重要文化財への追加指定が答申された。

  • 1794年(寛政6年)

    若冲筆「野晒図」制作

    骸骨を題材にした晩年の掛軸作品で、若冲の死生観を象徴する異色の作。現在も西福寺に所蔵されている。

  • 1930年(昭和5年)

    「蓮池図」の修復

    老朽化した「蓮池図」を修復。襖裏絵から切り離し、6幅の掛軸に仕立て直して保存体制が整えられた。

  • 2017年(平成29年)

    「山水図」豊中市指定文化財に

    若冲筆「山水図」が豊中市指定有形文化財に指定。寺の文化的価値が再評価される。

  • 2022年(令和4年)

    「山水図」国重要文化財指定

    文化審議会が「山水図」を国の重要文化財に指定するよう答申。翌年正式に指定され、若冲四作品すべてが公的文化財として保護されることとなった。

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