所在地 | 大阪府吹田市岸部中4丁目21-6 |
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TEL | 06-6388-9146 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
創建年 | 元和6年(1620年) |
西福寺は江戸時代初期の元和6年(1620年)、岸部村の住人・東泉(とうせん)によって開かれました。東泉は浄土真宗本願寺第十二代准如上人の直弟子となり、私財を投じて一向宗(浄土真宗)の惣道場を創設したと伝えられています。
創建6年後の寛永3年(1626年)に一度火災で焼失しましたが、同年11月には東泉と檀家の協力で早くも再建されました。江戸時代を通じ、西福寺は本願寺末寺でありながら惣道場として機能し、常住の住職を置かずに周辺の常称寺や万徳寺などから代務住職を迎え、日常業務は留守番が担うという珍しい体制をとっていました。こうした村人主体の信仰拠点として支えられてきた歴史は、西福寺と地域の強い結びつきを物語っています。
昭和9年(1934年)の室戸台風で本堂が大破。その後修復されましたが、度重なる風水害で老朽化が進み危険な状態となったため、約300年使用された本堂の建て替えが決断されました。昭和40年(1965年)に着工された新本堂は、従来の純和風寺院建築ではなく、地域住民の活動にも利用できるコミュニティ機能を備えた鉄筋コンクリート造の近代的建物として再建。防災性にも優れ、寺院でありながら地域集会所的な役割も果たす場となりました。
戦後一時期は住職不在の空寺となっていましたが、昭和54年(1979年)に福岡から藤大慶師を招き、久々に常駐住職が置かれ本願寺派寺院としての活動を再開しました。平成15年(2003年)には藤大慶住職が京都府綾部市に情緒障害児のための福祉施設「るんびに学園」を設立し、理事長に就任。現在はその子息・藤慶哉師が住職を務め、西福寺の伝統を継承しつつ地域に開かれた寺院運営を続けています。
現在の本堂は昭和40年代に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。外観はシンプルながら内部は浄土真宗寺院の荘厳が整えられており、阿弥陀如来を本尊として安置しています。先代本堂が台風被害で損壊したことから建て替えられ、防災面に配慮された構造です。
また地域住民の集会や法要後の懇親会など多目的ホール的に利用でき、寺と地域社会を結ぶ拠点となっています。毎月28日には「ぶっぷカフェ」と称するお茶会が本堂で開かれ、誰でも100円でお茶やお菓子を楽しみながら語らえる場となっています。午後4時頃には先立った方々を偲ぶ勤行も行われ、仏縁を感じるひとときが提供されています。
西福寺の入口は2カ所あり、正面の門はシンプルな薬医門風の造りです。境内規模は大きくありませんが、この山門を一歩入ると墓地や本堂がこぢんまりと配置された落ち着いた空間が広がります。もう一つの入口は脇門で、地域の生活道路側からも出入りでき、地域に開かれた寺らしい構造です。
境内には本堂のほかに庫裏など付属建物があり、いずれも本堂建替えと同時期に整備されています。伝統的な鐘楼や経蔵はありませんが、本堂前にはブロンズ像が立ち、寺の歴史を静かに見守っています(親鸞聖人像とも伝えられています)。
また境内には松の古木やクスノキなどが植えられ、枝を扇状に広げる松の姿は「松の寺」の趣を感じさせます。小規模ながら緑豊かな庭があり、ベンチも設置されているため、訪れる人がひと息つける空間です。墓地も境内奥に併設され、地域檀信徒の先祖墓が整然と並んでいます。
1620年
(元和6年)
東泉が岸部の地に一向宗の道場(西福寺)を創建。
1626年
(寛永3年)
火災により堂宇が焼失するも、同年中に再建された。
江戸時代
常称寺・万徳寺など他寺の輪番制により代務住職を迎え、無住(住職不在)の寺として維持された。
1934年
(昭和9年)
室戸台風で本堂が大破。修復工事が行われた。
1965年
(昭和40年)
老朽化した本堂の建替え工事に着工し、翌年竣工。鉄筋コンクリート造の新本堂へ改築された。
1979年
(昭和54年)
藤大慶師が住職に就任。長年空寺だった当寺に久々に住職が常駐し、本願寺派寺院として再興された。
2003年
(平成15年)
藤大慶師が京都府綾部市に情緒障害児短期治療施設「るんびに学園」を開設し理事長に就任。当寺住職は子息の藤慶哉師に交代。
2023年
(令和5年)
前住職・藤大慶師が示寂。藤慶哉師が住職を継ぎ、地域に根差した寺門興隆に努めている。