所在地 | 大阪府箕面市箕面2-5-27 |
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宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 大聖歓喜天(聖天) |
創建 | 伝・白雉年間(658年) |
開基 | 役行者(役小角) |
別称 | 箕面山 聖天宮西江寺(地元では「箕面の聖天さん」) |
札所 | 阪急沿線 西国七福神(大黒天を祀る寺) |
HP | minoh-saikouji.com |
西江寺は、修験道の開祖として知られる役行者(役小角)により飛鳥時代の658年に開山されたと伝わる古寺です 。役行者が箕面の滝で苦行を積んでいた際、山が大きく鳴動し光が差した中に老人の姿をした大聖歓喜天(聖天)が現れ、「この箕面山を日本最初の歓喜天の霊場とし、末永く万人の願いをかなえるためここに鎮座する」と告げたという伝説が残っています 。以来、西江寺は日本で最初に歓喜天を祀った霊場として知られ、本尊の歓喜天(聖天)と十一面観音菩薩を祀る根本霊場として信仰を集めてきました 。地元の人々からは親しみを込めて「箕面の聖天さん」と呼ばれ、地域の守り神のように崇められている存在です 。 西江寺は長い歴史の中で幾度も興廃を経験しながら、その都度復興してきました。奈良時代の天平年間には聖武天皇の勅願所となり、摂津国神宮寺(神社と寺院が習合した寺)として繁栄しましたが、その後、中世には戦火にも見舞われました 。寺宝も含め貴重な文化財が受け継がれており、室町時代中期に作られたと伝わる大黒天立像(七福神の大黒様)や、江戸時代の僧・木喰以久空上人が彫ったとされる石灯籠などが現存するなど、歴史的価値の高い遺産を今に伝えています 。こうした寺宝は境内で拝観することができ、当時の信仰文化に触れることができます。
西江寺の入口には鳥居形式の山門(聖天宮の鳥居)が立ち、ここをくぐって石段を上っていくと境内へと続きます。石垣づくりの階段を進む参道は趣があり、秋には頭上を覆う紅葉、春には桜や新緑に彩られ、まるで自然のトンネルをくぐるような雰囲気です。門前には「箕面の瀧道」商店街があり、滝へのハイキング途中に立ち寄る参拝客で賑わいます。鳥居をくぐり坂道を上がったところには大黒堂(大黒天を祀る堂宇)があり、現在は寺務所としても利用されています 。ここには西国七福神の一柱である大黒天像が安置されており、お参りして御朱印をいただくこともできます。
さらに石段を上った高台に建つ本堂が、西江寺の中心となる御堂です。質素で落ち着いた佇まいの本堂内部には、本尊である秘仏・大聖歓喜天(聖天)がお祀りされています。寺伝ではこの歓喜天像は役行者が自ら刻んだ日本最初の歓喜天像と伝えられ、その歴史は1300年以上にも及ぶといいます 。歓喜天は象の頭を持つ男女二神が抱擁した独特の姿で、一般には滅多に公開されない秘仏ですが、商売繁盛や縁結び、夫婦和合・安産など様々なご利益をもたらす神様として信仰されています 。本堂は開山以来幾度か焼失と再建を繰り返しており、現在の建物は近代以降に再建されたものですが、内部の荘厳な雰囲気と歴史の重みは訪れる人々に深い感銘を与えます。地元では「聖天さん」として親しまれ、今も地域の氏神様のように篤く信仰されている様子が感じられるでしょう 。
西江寺の境内には、本堂のほかにもいくつか見どころが点在しています。歓喜天伝説にまつわる**「対談石」**は、本堂近くにひっそりと残る大きな石で、役行者と歓喜天に化身した老人が腰を下ろして対話した場所だと伝えられています 。訪れた際にはぜひこの石にも注目してみてください。当時の神秘的な逸話に思いを馳せながら、霊験あらたかな雰囲気を感じることでしょう。境内には他にも、江戸時代の名工・木喰上人作と伝わる石灯籠や、水かけ不動明王などの小さなお堂・石仏も祀られており、古寺らしい風情が漂います 。鐘楼(鐘つき堂)は茅葺(かやぶき)屋根の趣ある造りで、新年や法要の際には梵鐘の音色が箕面の山中に響き渡ります。季節の花々に囲まれた境内を散策しながら、こうした伽藍の数々をゆっくり巡れば、西江寺の歴史と文化を肌で感じることができるでしょう。
658年
(斉明天皇4年)
役行者(役小角)が箕面山で修行を行い、西江寺の前身となる修験道の道場を開山。寺伝によれば、この年に老人に姿を変えた歓喜天が出現し、箕面山を日本初の歓喜天霊場と定めたと伝えられる。
8世紀初頭〜中頃
(奈良時代)
開山当初、この地は豊島郡片手村と称されていたが、西江寺創建にまつわる伝説から「箕面(蓑面)村」の地名が起こったともいわれる(諸説あり)。天平年間には聖武天皇の勅願寺として堂宇の整備が進み、神仏習合の摂津国神宮寺と称するようになる。歓喜天を祀り、国家鎮護・万民利楽を祈願する霊場として栄えた。
1571年頃
(元亀2年)
戦国時代の兵火により大きな被害を受ける。織田信長の勢力による焼討の際に堂塔伽藍を焼失したと伝えられる。その後、江戸時代までに再建され、江戸後期には天狗まつりなどの行事が行われ地域信仰の拠り所となった。
1886年
(明治19年)
神仏分離令により、長らく神宮寺としての形態を保っていた箕面山は、神社部分(聖天宮)と寺院部分(西江寺)に分離。この年、寺は正式名称を「聖天宮西江寺」と改めた。境内には聖天宮が残され、歓喜天を祀る独特の信仰形態は維持された。
1939年
(昭和14年)
途絶えていた虫供養の行事が復興。大阪の俳人・杉村楚人冠ら文化人の呼びかけで関西各地から愛好者が集い、西江寺を会場に虫供養が再開され、以後毎年秋の恒例行事として続く。
現代
箕面国定公園内の名刹として豊かな自然と歴史的遺産を後世に伝えている。阪急沿線の西国七福神めぐりでは大黒天を祀る札所として参拝者が訪れ、ハイキングや観光途中の人々が立ち寄る。季節行事や寺宝公開も行われ、地域文化の発信拠点としても機能している。