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西光寺さいこうじ

大阪府大阪市住吉区にある、真宗大谷派の寺院。鎌倉時代末期に念仏道場として創建された約700年の歴史を持つ古刹

所在地 大阪府大阪市住吉区苅田6-10-5
宗派 真宗大谷派
山号 的場山
本尊 阿弥陀如来
創建 正安年間(1299〜1302年)

正安年間(1299〜1302年)に的場才門太郎が念仏道場として開き、
戦国期に浄円が再興。鐘楼や太鼓楼を備える非公開の歴史ある寺院

大阪市住吉区苅田に位置する西光寺は、真宗大谷派に属する寺院で、山号を的場山と称しています。開祖は的場才門太郎と伝えられ、鎌倉時代末期の正安年間(1299〜1302年)頃に浄土真宗の教えに帰依し、この地に念仏道場を開いたことが寺の起源とされています。

その後、戦国時代の弘治年間(1555〜1557年)に住職・浄円によって寺院が再興され、この頃から寺号を「西光寺」と称するようになっています。浄円は西光寺中興の祖と位置づけられ、それまでの道場が正式に寺院として整えられ、本尊阿弥陀如来の御堂や伽藍が整備されています。以後、西光寺は真宗大谷派の寺院として地域の門徒に支えられ、脈々と法灯が受け継がれてきています。

境内には鐘楼と太鼓楼が備えられており、浄土真宗の寺院としての格式を今に伝えています。鐘楼の梵鐘は時を告げるほか、大晦日には除夜の鐘が撞かれ新年を迎える風情を演出しています。太鼓楼は江戸時代後期に建てられたと伝えられ、朝夕に響く太鼓の音が人々の暮らしと信仰のリズムを支えてきています。

現在、西光寺は一般の参拝者が自由に境内に入ることはできず、普段は山門が閉ざされています。観光寺院ではなく地域の門徒のための伽藍となっているため、訪問の際には事前の許可が必要となっています。

  • 山門

    西光寺の正面入口にあたる山門は、切妻造瓦葺きの風格ある門構えです。落ち着いた佇まいの門越しに堂宇の屋根が望まれ、歴史ある寺院の厳かな雰囲気を感じさせています。通常は門扉が閉じられており、外部から静かに寺内をうかがう形となっています。

  • 本堂

    西光寺の本堂は寺院の中心となる御堂で、本尊である阿弥陀如来像を安置しています。弘治年間の再興以来幾度かの修復を経て現在に伝わる建物で、伝統的な真宗寺院の意匠を備えています。内部は一般には非公開で、法要や僧侶・門徒の参拝時のみ開扉されています。

  • 鐘楼

    本堂の近くには鐘楼が建ち、瓦屋根をいただく伝統的な建造物となっています。吊り下げられた梵鐘は時を告げるほか、その厳かな音色が境内外に響き渡り、地域に時報を知らせる役割も果たしてきています。大晦日には除夜の鐘が撞かれ新年を迎える風情を演出しています。

  • 太鼓楼

    鐘楼と対になるように境内には太鼓楼も設けられています。楼上に太鼓を備えた塔で、時刻や法要の合図として太鼓を打ち鳴らすための施設です。江戸時代後期に建てられたと伝えられ、修復・改修を経た姿は寺の歴史を物語る建造物の一つとなっています。

西光寺のあゆみ

  • 1299〜1302年
    (正安年間)

    的場才門太郎が念仏道場を開創

    鎌倉時代末期、当地の人である的場才門太郎が浄土真宗の教えに帰依し、この地に念仏道場を開いたと伝えられています。この正安年間頃の開創が西光寺の起源とされ、当初は小さな道場ながら浄土真宗の信仰が芽生える拠点となっています。

  • 1555〜1557年
    (弘治年間)

    浄円による再興と「西光寺」の寺号確立

    戦国時代の弘治年間、当時の住職であった浄円によって寺院が再興されています。浄円は西光寺中興の祖と位置づけられ、この再興により寺号を「西光寺」と定めています。それまでの道場が正式に寺院として整えられ、本尊阿弥陀如来の御堂や伽藍が整備されています。

  • 江戸時代前期

    真宗大谷派の末寺として発展

    江戸時代に入ると西光寺は東本願寺(真宗大谷派)の末寺として正式に整えられ、苅田地域の檀那寺として門徒の信仰を集めています。法要や年中行事を通じて地域住民の暮らしに深く根ざし、寺院としての格式が整えられています。

  • 1704年
    (宝永元年)

    大和川の付け替えと地域環境の変化

    大和川の流路が現在の位置に付け替えられ、苅田周辺の地形と水利が大きく変化しています。地域環境が変わる中、西光寺は変わらず門徒の信仰を支える寺院として機能し続けています。

  • 江戸時代後期

    太鼓楼の建立と伽藍の充実

    江戸時代後期には境内に太鼓楼が建立され、鐘楼とともに寺院の格式を高めています。朝夕に響く太鼓の音は地域に時刻を知らせるとともに、法要の合図として人々の暮らしと信仰のリズムを支えてきています。

  • 1868年
    (明治元年)

    明治維新と廃仏毀釈の波

    明治維新後の神仏分離令や廃仏毀釈の影響が各地に及んでいますが、浄土真宗寺院は比較的被害が少なく、西光寺も門徒の篤い支持に支えられて存続しています。近代化の中で苅田の地も徐々に変貌を遂げています。

  • 1945年
    (昭和20年)

    戦災を免れ伽藍が存続

    太平洋戦争末期の大阪大空襲では市内各地に被害が及んでいますが、西光寺の伽藍は戦災を免れて存続しています。鐘楼や太鼓楼を含む歴史ある建造物が守られ、戦後も門徒の心の拠り所として法要が続けられています。

  • 昭和〜平成時代

    都市化の中で非公開の静かな寺院として護持

    戦後の高度経済成長期を経て苅田一帯は住宅地として開発が進んでいますが、西光寺は非公開の寺院として静かに護持されています。約700年の歴史を持つ古刹として、鐘楼や太鼓楼などの歴史的建造物を伝え続けています。

  • 現在
    (令和時代)

    約700年の法灯を守り続ける苅田の古刹として

    現在も西光寺は苅田の住宅街の中に静かに佇み、正安年間の開創以来約700年にわたる法灯を守り続けています。一般拝観は行っていませんが、鐘楼や太鼓楼を備える格式ある境内が、地域の浄土真宗の歴史を今に伝える存在となっています。

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