| 所在地 | 大阪府大阪市住吉区上住吉2-2-20 |
|---|---|
| 電話 | 06-6671-0026 |
| 宗派 | 真言宗御室派 |
| 山号 | 和光山(わこうざん) |
| 本尊 | 十一面観音菩薩 |
| 創建 | 弘法大師開創伝承/再建:1600年代(長尊大僧正) |
| 文化財 | 方違社神像群(大阪市指定)/木造十一面観音菩薩立像(大阪市指定)/木造菩薩形立像(大阪市指定)/西国巡礼三十三度行者関係資料(大阪府指定) |
西之坊は、大阪市住吉区上住吉に位置する真言宗御室派の寺院です。山号は「和光山」、院号は「無量寿院」で、総本山・仁和寺の末寺として歴史を歩んできました。住吉大社の東に寺地を構え、摂津国八十八箇所の第34番札所としても知られています。
西之坊の最大の特徴は、山門を入って正面に建つ「金神堂」と境内の「方違社」です。金神堂には陰陽道と結びつく方位神「金神」が祀られ、方除け・方違いの拠点として信仰されてきました。大阪市は方違社神像群を指定文化財として解説し、主祭神の木造金神立像が文化12年(1815年)に大坂仏師・田中主水の作であること、弁才天・大黒天など神仏習合の影響が濃い諸像がまとまって伝来していることを明示しています。
文化財はさらに多層的です。平安時代後期に遡る可能性がある木造十一面観音菩薩立像(大阪市指定)、室町時代の木造菩薩形立像(大阪市指定)、そして大阪府指定の西国巡礼三十三度行者関係資料と、時代の幅が広い信仰の痕跡が一寺に凝縮されています。
寺伝では弘法大師(空海)の創建とされ、1600年代に長尊大僧正が再建したという枠組みが伝わっています。享保14年(1729年)の文書には「仁和寺末天野谷寺五ケ寺の内の一坊」とあり、住吉大社と密接な関係を持つ大寺院「天野谷寺」の一坊であったことが記録されています。
山門を入って正面に建つ金神堂には、陰陽道の方位神「金神」が祀られています。方違社神像群は弁才天・大黒天など神仏習合の影響が濃い諸像で構成されています。
平安時代後期に遡る可能性がある一木造の古像です。短い体躯と大きい頭部が特色で、住吉周辺に平安期以来の信仰具が残ることを示す貴重な文化財です。
三面八臂で弓矢を持つ特異な姿の室町時代の像です。三宝荒神の特徴を備え、住吉が神仏習合の影響を色濃く残す地域であることを裏づけています。
山門に据えられた鬼瓦は、怒った顔に見えても慈悲の心で街行く人々を見守ると伝えられています。西之坊の入口を守る象徴的な存在です。
平安時代後期
(10〜12世紀)
大阪市指定文化財の木造十一面観音菩薩立像は、制作年代が平安時代後期に遡る可能性がある古像です。短い体躯と大きい頭部が特色の一木造像で、神木のような特別な木材が用いられた可能性も指摘されています。
弘法大師の時代
(伝承)
寺伝では弘法大師(空海)がこの地に寺を開いたとされています。住吉大社の東に位置する立地は、古来からの信仰の場としての歴史の深さを示しています。
室町時代
(15〜16世紀)
三面八臂で弓矢を持つ特異な姿の木造菩薩形立像(大阪市指定文化財)はこの時代の作とされています。仏・神・童子が混在する要素を持ち、三宝荒神の特徴を備えた神仏習合の象徴的な像です。
1600年代
長尊大僧正によって寺が再建されました。真言宗御室派の寺院として住吉大社と密接な関係を持つ天野谷寺の一坊としての性格が維持されています。
享保14年
(1729年)
この年の文書に西之坊が「仁和寺末天野谷寺五ケ寺の内の一坊」と記載されています。住吉大社と周辺寺院の関係を示す重要な歴史資料です。
文化12年
(1815年)
方違社の主祭神である木造金神立像が大坂仏師・田中主水の手により造立されました。陰陽道と関わりの深い金神の立像として、方除け信仰の中心となっています。
文久2年
(1862年)
境内に西国巡礼三十三度行者の満願供養塔が建立されました。西之坊は「住吉組」を組織し、巡礼行者の元締としての役割を果たしていたことが記録されています。
平成7年
(1995年)
「西国巡礼三十三度行者関係資料(住吉組ほか)」が大阪府指定有形民俗文化財に指定されました。西之坊が巡礼文化の拠点であったことが公的に認められています。
現在
住吉東駅から徒歩約3分の西之坊は、金神堂・方違社を中心に神仏習合の痕跡を今に伝えています。摂津国八十八箇所第34番札所として巡礼者も訪れ、住吉大社とあわせた参拝が可能です。