| 所在地 | 大阪府豊中市城山町2丁目2-23 |
|---|---|
| 宗派 | 法華宗本門流(日蓮聖人の教えを奉ずる法華系仏教) |
| 山号 | 東城山(とうじょうざん) |
| 本尊 | 本門八品上行所伝の大曼荼羅(御題目「南無妙法蓮華経」) |
| 創建 | 享保11年(1726年) |
| 開基・開山 | 日軌上人(尼崎・本興寺の僧。開基および開山を勤める) |
大阪府豊中市城山町に所在する東城山 藤井寺(とうせいじ)は、法華宗本門流に属する寺院です。 享保11年(1726年)、尼崎・本興寺の僧・日軌上人を開基として大阪・曾根崎の地に創建され、 昭和初期の昭和4年(1929年)に現在地である豊中市城山町へと移転しました。 山号は「東城山(とうじょうざん)」で、御本尊には「南無妙法蓮華経」の御題目を記した大曼荼羅(十界曼荼羅)を安置しています。 藤井寺は約300年にわたり信仰と文化の拠点として地域に根ざし、その法灯を現代まで守り続けています。
藤井寺の歴史は江戸時代中期に遡ります。享保11年(1726年)、大阪・曾根崎村(現・大阪市北区曾根崎付近)において、 法華宗本門流の中心寺院・尼崎本興寺から日軌上人を迎えて開創されました。 創建当初はお初天神(露天神社)の東隣に位置し、医師・藤井氏の屋敷跡を寺地としたと伝わります。 江戸時代の大阪において法華宗の布教拠点の一つとして栄え、地域の信徒から厚い信仰を集めました。
その後、大正末から昭和初期にかけての都市開発に伴い、藤井寺は郊外への移転を決定。 昭和4年(1929年)、現在の豊中市城山町に移転しました。 この「城山町」はその名の通り丘陵地に位置し、中世戦国期には「福井城」があったとも伝えられる土地です。 寺号の山号「東城山」は、この城山の東側に位置することに由来すると考えられています。 以降、藤井寺はこの新天地で再出発し、地域信仰の中心として歩みを続けました。
移転後の藤井寺は、宅地化が進む中でも開かれた境内を保ち、地域の人々に親しまれてきました。 第二次世界大戦後には堂宇の復興や境内整備が進み、平成以降には三重塔の建立など新たな伽藍の充実も図られています。 こうして江戸期創建の古刹である藤井寺は、現代においてもその法灯を絶やすことなく受け継いでいます。
また藤井寺は、地域の人々の人生に寄り添う寺院としても知られています。 平成22年(2010年)には、時代劇『必殺仕事人』などで知られる俳優・藤田まこと氏の葬儀が当地で営まれ、 タレントの西川きよし氏をはじめ約60名が参列しました。 この出来事は、藤井寺が地域社会における「送りと迎えの寺」として信頼されていることを象徴するエピソードといえるでしょう。
正面入口には「南無妙法蓮華経」を刻んだ題目塔が建ち、隣接する山門とともに荘重な景観をつくります。 山門脇には枝ぶり見事な老松(黒松)が根付き、四季を通じて参拝者を迎えます。
昭和期の移転再建後、適宜修復を重ねた木造本堂。 内陣には御本尊の大曼荼羅を奉安し、日蓮聖人の御影・立像も祀られています(通常非公開)。 石畳の参道が一直線に本堂へ導き、凛とした静けさを感じられます。
境内西側にそびえる高さ約20〜25mの端正な三重塔。緑青色の瓦が青空に映え、豊中市内でも稀有な本格塔として一見の価値。 法華経の功徳を象徴する藤井寺の新たな象徴で、塔内は非公開ながら外観見学は自由です。
境内の鐘楼では朝夕に梵鐘が撞かれ、澄んだ音色が近隣へ広がります。 大晦日の除夜の鐘は地域参加の恒例行事として親しまれています。
本堂近くには日蓮聖人の銅像が凛として佇み、参詣者を見守ります。 伝道掲示板や石仏も配され、法華の教えや格言に触れられるのも見どころです。
丁寧に手入れされた植栽や小庭が堂塔伽藍と調和。 規模は大きくないながらも、清浄で静謐な空気が満ち、心を落ち着かせてくれます。
1726年(享保11年)
尼崎・本興寺の僧・日軌上人を迎え、大坂曾根崎の藤井氏邸内に藤井寺を創建。 この年をもって藤井寺の開山(初代住職)および開基の年とする。
江戸時代後期
曾根崎の地において法華宗本門流の寺院として布教を展開。 周辺地域の法華信徒にとって信仰の道場として定着する。
1868年(明治元年)~
明治維新後も法華宗本門流の寺院として教線を維持。 廃仏毀釈の影響下でも寺院の法灯を守り続けた。
1929年(昭和4年)
大阪市内・曾根崎から現在の豊中市城山町へ移転。 これに伴い本堂をはじめとする伽藍を新築し、再興(中興)開基は中川日伝上人(第23世住職)によると伝わる。 山号「東城山」は移転先の「城山」の東側に位置することに由来する。
1945年(昭和20年)
太平洋戦争による戦災を免れ、寺観を保つ。 終戦後、境内の整備を進め、地域の復興とともに歩む。
1960年代~1970年代
鐘楼の改修や山門の補強工事など、境内諸施設の補修を段階的に実施。 昭和40年代には寺観の維持と整備が進み、地域信仰の中心としての地位を確立した。
2001年(平成13年)
高さ約25mの三重塔を新造し落成。 豊中市内初の本格的な三重塔として建立され、藤井寺の象徴となる。 建立は信徒の発願によるもので、法華経の功徳を象徴する新たな伽藍として親しまれている。
2010年(平成22年)
2月19日、俳優・藤田まこと氏の葬儀が藤井寺本堂で営まれる。 約60名が参列し、地域における信頼の寺として注目を集める。
2020年(令和2年)
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、大規模法要や行事を縮小。 オンラインによる法要配信など新しい形での法務活動を試みる。
2024年(令和6年)
住職・松井正孝師が法華宗本門流宗務院 教学部長に就任。 学僧として日蓮教学の研究と寺院運営に尽力し、宗門発展にも貢献している。
現在(令和時代)
創建からまもなく300年を迎えるにあたり、寺史の編纂や記念行事の準備を進行中。 地域に開かれた寺として、信仰と文化を次代へと伝える活動を続けている。