| 所在地 | 大阪府大阪市住吉区苅田6-1-14 |
|---|---|
| 電話 | 06-6691-5771 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 山号 | 瑠璃峯(るりほう) |
| 本尊 | 薬師如来(薬師瑠璃光如来) |
| 創建 | 弘仁7年(816年)伝承/再興:寛永3年(1626年) |
| 文化財 | 宝篋印塔(江戸時代以前) |
薬師寺は、大阪市住吉区苅田に位置する高野山真言宗の寺院です。山号は「瑠璃峯」、院号は「医王院」で、本尊として薬師如来(薬師瑠璃光如来)を安置しています。地元では「病い封じのお薬師さん」として親しまれ、病気平癒・健康長寿を祈願する参拝者が訪れる霊場です。
寺伝によれば、延暦25年(806年)に弘法大師(空海)が唐の大慈恩寺で祈願した際、夢に薬師如来が現れ「衆生に縁を結ぶため鶴に化身し、稲穂を摂津依羅の里に落とす」と告げたとされています。帰朝後の弘仁7年(816年)、大師はこの地に薬師如来像を安置する伽藍を建立しました。その後、幾度もの戦災や廃絶を経て、寛永3年(1626年)に古跡の地に再興されたのが現在の薬師寺です。
境内には六地蔵塔や延命地蔵を祀る地蔵堂、金毘羅宮、水子地蔵、弘法大師像が配置されています。また、江戸時代以前の宝篋印塔などの古い石造物が現存しており、古刹の面影を今に伝えています。摂津国八十八所巡礼の第36番札所としても知られ、巡礼者の参拝が絶えません。
参道入口には「第36番札所」と刻まれた石碑が立ち、本堂にかかる扁額には山号「瑠璃峯」の名が掲げられています。和風の落ち着いた佇まいの中で、薬師如来の「病魔退散・病気平癒」のご利益を求めて多くの参拝者が祈願に訪れています。
本堂には山号「瑠璃峯」の扁額が掲げられ、本尊・薬師如来が安置されています。「病魔退散・病気平癒」のご利益を求める参拝者が祈願に訪れる信仰の中心です。
参道入口には「第36番札所」の石碑と六道を表す六地蔵塔が並び、参拝者を迎えています。石畳の参道が境内へと続く和風の佇まいです。
境内に現存する江戸時代以前の宝篋印塔は、古刹の歴史を物語る貴重な石造遺物です。幾度もの戦災を経て今に伝わっています。
境内には延命地蔵を祀る地蔵堂や水子地蔵が配されています。弘法大師像や金毘羅宮とともに、参拝者の祈りの場となっています。
延暦25年
(806年)
弘法大師(空海)が唐の大慈恩寺で祈願した際、夢に薬師如来が現れ「衆生に縁を結ぶため鶴に化身し、稲穂を摂津依羅の里に落とす」と告げたと伝えられています。
弘仁7年
(816年)
帰朝後の弘法大師がこの地に薬師如来像を安置し、大伽藍を建立したのが薬師寺の始まりとされています。依羅の里の信仰の場として歩みが始まりました。
中世
(鎌倉〜室町時代)
中世の戦乱により幾度もの戦災に見舞われ、伽藍が焼失・荒廃する時期がありました。薬師如来への信仰は途絶えることなく受け継がれています。
寛永3年
(1626年)
江戸時代初期、古跡とされる当地に薬師寺が再興されました。本尊の薬師如来は「大歳大明神」の本地仏と伝わり、病気平癒の霊験が篤いとされています。
江戸時代
(17〜19世紀)
「薬師寺の薬師さん」として広く信仰を集め、病気平癒を祈願する人々で賑わいました。宝篋印塔などの石造物もこの時代に整備されています。
明治時代
(19世紀後半)
明治維新後の社会変動の中にあっても、高野山真言宗の寺院として檀信徒の支えにより存続しました。地域の信仰の場として歩み続けています。
昭和時代
(20世紀)
太平洋戦争後の復興期に境内が整備されました。六地蔵塔や地蔵堂、金毘羅宮、水子地蔵などが配され、現在の境内の景観が形成されています。
近年
摂津国八十八所巡礼の第36番札所として認定され、巡礼者の参拝が続いています。参道入口には札所を示す石碑が建てられています。
現在
住吉区苅田の静かな住宅街に佇む薬師寺は、弘法大師ゆかりの霊場として病気平癒・健康長寿を祈願する参拝者を迎え続けています。節分会や彼岸会など年間行事も営まれ、地域の信仰の拠り所となっています。