| 所在地 | 大阪府大阪市北区太融寺町1-4 |
|---|---|
| 電話 | 06-6311-3201 |
| 山号 | 仏生山(ぶっしょうざん) |
| 宗派 | 日蓮実宗 |
| 創建 | 1770年(明和7年) |
| 開山 | 日命(にちめい) |
| 開基 | 日元(にちげん) |
蓮華寺(れんげじ)は、大阪市北区太融寺町に位置する日蓮実宗の寺院で、江戸時代中期の明和7年(1770年)に 妙光阿生蓮院日命(にちめい)によって開かれました。日命はそれまでの自明院を継承しつつ日蓮系の法華宗へと改宗し、 山号を「仏生山」、寺号を「蓮華寺」と改めたことが当寺の始まりとされています。 開基には日蓮正宗総本山・大石寺第33世法主の日元上人が迎えられ、当初より大石寺の直末寺として強い結びつきを持っていました。 本尊には大石寺の板曼荼羅御本尊(通称「板本尊」)の写しが祀られ、「関西の総本山」とも称された時期があったと伝えられます。
近代以降、蓮華寺は火災や戦災に幾度も遭いながら、そのたびに堂宇を再建してきました。 明治44年(1911年)の火災で伽藍を失った後、大正2年(1913年)に復興。昭和20年(1945年)の大阪大空襲でも堂宇が焼失しましたが、 戦後に再建が進められました。 昭和39年(1964年)には「蓮華寺事件」と呼ばれる宗教史上重要な出来事が起こります。 第18世住職が、当時の信徒団体・創価学会の強い影響力および日蓮正宗の対応に反発し、大石寺を中心とする日蓮正宗からの離脱を決断。 蓮華寺は高知市・大乗寺とともに日蓮実宗を創設し、独立宗派としての立場を確立しました。
その後、蓮華寺は日蓮実宗の単立寺院として静かに運営を続けており、現在は一般参拝や観光目的の拝観は受け付けていません。 都市中心部にありながら、宗教史に刻まれた深い背景を内包する、静謐で由緒ある寺院です。
蓮華寺の門扉は常時施錠されており、境内に立ち入ることはできません。 大通りに面した都市部にありながら、高い塀に囲まれた境内は静けさを湛え、 背後に高層ビルがそびえる繁華街との対照が印象的です。 門柱の表札には「日蓮実宗 蓮華寺」と掲げられ、同寺が独自宗派に属する特異な寺院であることを示しています。
蓮華寺のすぐ隣には、高野山真言宗の古刹・太融寺(弘仁12年〈821年〉創建)があり、 周辺は複数の寺院が集まる“天満の寺町”の面影を今に伝えています。 都会の中心地でありながら、寺周辺は喧騒とは無縁の落ち着いた空気が流れ、 散策中にひと息つきたくなる、静寂の残る小空間となっています。
冬の時期になると、境内に植えられたサザンカ(山茶花)が見頃を迎えます。 非公開寺院でありながら、門前からでも花の彩りを楽しめる季節があり、 都市の情景に小さな癒やしを添える存在となっています。
1770年
(明和7年)
妙光阿生蓮院日命が自明院を継承し、山号を仏生山、寺号を蓮華寺として開創。 日蓮系寺院としての歴史が始まる。
1771年
(明和8年)
開基として大石寺第33世法主・日元上人を迎え、総本山大石寺直属の末寺となる。 関西における有力寺院として信仰を集める。
1911年
(明治44年)
明治末期の火災で伽藍が焼失。 これにより寺観の多くが失われる。
1913年
(大正2年)
火災から2年後に諸堂が再建され、寺院としての機能が回復。 大正期再建の蓮華寺の姿が整えられる。
1927年
(昭和2年)
後の大石寺第62世法主となる日恭上人が住職を務めた時期。 蓮華寺の歴史上重要な転換点のひとつ。
1945年
(昭和20年)
第二次世界大戦の空襲により再び伽藍が焼失。 戦後に寺院再建が行われるが、往時の建物は現存しない。
1964年
(昭和39年)
第18世住職が大乗寺(高知)とともに日蓮正宗を離れ、新宗派「日蓮実宗」を立ち上げる。 蓮華寺は独立宗派の単立寺院として現在に至る。