| 寺院名 | 金界山 自香寺(じこうじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市北区太融寺町2-10 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 山号 | 金界山 |
| 本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
| 創建 | 元文2年(1737年)5月 |
| 開山 | 智曜比丘尼(ちようびくに) |
自香寺は、約300年にわたる歴史の中で幾度も災禍に遭いながら、その都度再建を果たしてきた resilent(しなやかで強い)寺院です。江戸時代には大火や幕末の動乱、昭和期には大阪大空襲により堂宇を焼失しましたが、いずれの時期にも檀信徒の支えによって復興が進められました。平成以降には老朽化した伽藍を取り壊し、ビル内に仮本堂を設けるという大胆な都市型再建を実施。令和4年(2022年)には鉄骨造の新本堂ビルが落慶し、現代の大阪らしい「都市に生きる寺院」の姿を体現しています。
本尊は、向かって左に勢至菩薩、右に観音菩薩を従える阿弥陀三尊形式の阿弥陀如来坐像です。中央の阿弥陀如来像は、光背に48体もの化仏(小仏)をちりばめた極めて珍しい造形を持ち、浄土宗寺院の中でも特異な意匠として知られています。この尊像は創建当初から伝来するもので、昭和20年の大阪大空襲では事前に避難させられ難を逃れました。以後も自香寺の信仰の中心として大切に護持され続けており、都市の真ん中にありながら深い宗教性を湛えています。
一般拝観こそできませんが、自香寺の内部には、江戸期以来の歴史と信仰を現在に伝える貴重な仏像が静かに安置されています。外観は新しいビルでありながら、内側に息づく長い歴史と浄土宗の教えを感じさせる、独自の魅力をもつ都市型寺院です。
自香寺の本堂は戦前まで七間四方の木造堂宇でしたが、大阪大空襲で焼失。戦後の仮堂安置を経て、2003年には鉄骨造のマンション「サンガ梅田」1階に仮本堂を設置。さらに2022年には新本堂併設マンション「アローム梅田」が竣工し、1階部分に本格的な本堂が整備されました。現代的なビルの中にありながら木目素材を取り入れるなど、伝統美を感じさせるデザインとなっています。
本堂内には創建時から伝わる阿弥陀如来坐像(阿弥陀三尊)が安置され、その光背には48体の化仏が配される珍しい意匠が今も残っています。一般公開はされていませんが、法要時には現代設備と伝統荘厳が融合した堂内で厳かな儀式が営まれます。
小規模ながら整った墓地が境内にあり、夏には蓮が咲き、秋には金木犀が香るなど、四季を感じられる癒しの空間。水鉢にはメダカが泳ぎ、ビル街にありながら緑と静寂のオアシスとなっています。永代供養墓や納骨堂も整備され、檀信徒以外の利用も可能です。
境内外縁には子安地蔵尊が祀られ、安産・子供の守護として広く信仰されています。保育園児が列になって手を合わせる姿も見られ、都会の中心であっても地域の祈りの場として温かな存在感を放っています。
1737年
(元文2年)
瀬田家の寄進を受け、智曜比丘尼が中崎村に自香寺を開創。尼寺(女人寺)として始まり、本尊・阿弥陀如来坐像を安置する。
1834年
(天保5年)
北大坂を襲った大火(堂島新地の大火)により伽藍が全焼。創建以来の堂宇が失われ、大きな被害を受ける。
1844年
(天保15年)
檀家の支援で本堂が再建され、住職祐玄が私財を投じて附属建物を造営。19世紀半ばまでに寺観が復興した。
1945年5月
(昭和20年)
大空襲に備え、本尊阿弥陀如来像と善導大師像・法然上人像など主要寺宝を三島郡鳥飼村の長音寺へ疎開。住職の判断により貴重な仏像群が難を逃れた。
1945年6月
(昭和20年)
大空襲により本堂・庫裡・観音堂がすべて焼失。土蔵のみが残り寺宝の一部が保全された。境内は焼け野原となり寺院機能が停止状態に。
1945年7〜8月
(昭和20年)
太融寺町の敷地に急造の仮本堂を建設。翌8月には疎開させていた本尊を迎えて安置し、わずか2ヶ月で寺院としての再出発を果たす。
2003年
(平成15年)
老朽化と震災被害のため木造本堂・庫裡を解体し、鉄骨造12階建てマンション「サンガ梅田」を建立。1階部分に仮本堂を設置して本尊を遷座させる。
2022年
(令和4年)
境内敷地に地上10階建ての新本堂併設マンションが竣工。「サンガ梅田」から本尊を正式本堂へ移座し、令和の新しい本堂が完成。長年の仮堂時代に幕を下ろした。