所在地 | 大阪府池田市渋谷3-17-11 |
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TEL | 0727525584 |
山号 | 向泉山(こうせんざん) |
宗派 | 曹洞宗(禅宗) |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建 | 天文元年(1532年) |
札所 | 摂北三十三ヶ所観音霊場第25番札所 |
自性院(じしょういん)は、大阪府池田市渋谷にある曹洞宗の寺院で、山号を向泉山といいます。室町時代の天文元年(1532年)に創建されたと伝わり、約500年の歴史を持つ古刹です。本尊は聖観世音菩薩で、摂津国北部三十三ヶ所観音霊場(摂北三十三ヶ所)の第25番札所に数えられています。境内には樹齢400年を超えるカイヅカイブキ(貝塚伊吹)の巨木がそびえ、高さ12.9メートル・幹回り4.0メートルという堂々たる姿で寺を見守っています。このカイヅカイブキは昭和57年(1982年)に池田市の天然記念物に指定されました。
現在の本堂は平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災でほぼ全壊した旧本堂の代わりに、平成15年(2003年)12月に再建されたものです。伝統的な様式を受け継ぎつつ新たに建て直された堂宇で、ご本尊の聖観世音菩薩像を安置しています。創建以来、地域の人々の信仰の中心となってきたお堂で、江戸時代には上渋谷村の人々による篤い支援で維持されてきたと考えられています。
本堂には本尊の観音菩薩像のほか、室町時代中期の作と伝わる木造阿弥陀如来立像や、天保15年(1844年)制作の仏涅槃図(ぶつねはんず)などの寺宝が収められています。木造阿弥陀如来立像は一躯の立ち姿の阿弥陀仏像で、池田市指定有形文化財に指定されています。仏涅槃図はお釈迦様の入滅の情景を描いた絵画で、紙本著色の掛け軸作品として伝わっており、こちらも池田市の文化財となっています。これら貴重な仏教美術は、寺の長い歴史を物語る遺産となっています。
山門は自性院の表玄関にあたる門で、切妻造瓦葺きの伝統的な寺院門です。創建当初からあったかは不明ですが、現在見ることのできる山門は江戸時代以降に建立されたものと考えられます。質素ながら風格のある門構えで、門をくぐると正面に本堂が望まれ、寺域の厳かな空気を感じることができます。両脇に金剛力士像(仁王像)は安置されていませんが、石畳の参道と相まって静かな佇まいをみせています。
本堂脇には高さ約13メートルにもなるカイヅカイブキ(園芸品種のイブキ、ビャクシンの一種)の老樹があります。推定樹齢は400年を超えており、寺の創建から間もない頃に植えられたものと伝えられています。幹回りは約4メートルにも達し、ねじれながら空へ伸びる雄大な姿は見る者に深い印象を与えます。このイブキの巨木は昭和57年(1982年)3月27日付で池田市指定天然記念物に指定されており、地域の貴重な自然遺産ともなっています。春夏は青々と茂り、秋冬でも常緑樹として境内のシンボル的存在となっています。
1532年
(天文元年)
天文元年(1532年)、五月山山麓にある曹洞宗大広寺の六世・雪岫(せっきゅう)禅師によって開山され、上渋谷村(現在の池田市渋谷地区)の人々の寄進により創建されました。初代住職(開基)は玄那莫道(げんなばくどう)禅師と伝えられており、本堂裏手には昭和6年(1931年)に建立された歴代住職の墓碑が残されています。創建当初の本尊や伽藍の詳細は不詳ですが、江戸時代まで村寺として地域に根づき、檀家や信徒から篤く信仰されてきました。
1685年
(貞享2年)
江戸時代の貞享2年(1685年)、自性院は摂津国北部三十三ヶ所観音霊場(摂北観音霊場)巡礼の第25番札所に定められました。この霊場は池田市伏尾の久安寺塔頭・宝積院の僧円海尊者によって開かれたもので、北摂地域の33ヶ所の観音霊場を巡る巡礼路でした。札所となった自性院には「摂北観音霊場第25番札所」の碑や御詠歌が伝わり、観音信仰の霊場寺院としても知られるようになります。以降、近隣の人々はもとより遠方からの巡礼者も訪れ、本尊の観音菩薩に祈願する風景が江戸後期から昭和初期にかけて見られました。
1944年
(昭和19年)
太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)9月、大阪市立神津国民学校(現在の大阪市立神津小学校)の児童約250名が池田市へ集団疎開してきました。自性院を含む池田市内の寺院7ヶ所(自性院ほか6寺)に児童たちは分宿し、戦火を逃れて生活します。しかし昭和20年(1945年)3月になると池田市街も空襲を受けはじめたため、同年5月に疎開していた児童たちは現在の能勢町田尻へ再び疎開移転することになりました。戦時中、自性院はこのように地域の避難受け入れ先ともなり、寺院が地域の安全網として機能した一例となりました。
1995年
(平成7年)
平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災では池田市も震度5強の揺れを観測し、自性院でも本堂が倒壊するなど壊滅的な被害を受けました。幸い人的被害はありませんでしたが、長年寺に伝わってきた什物や古文書類の多くが散逸・焼失してしまいます。震災後、地域檀信徒の支えにより復興計画が進められ、8年後の平成15年(2003年)12月に新本堂が落成しました。再建された本堂は鉄骨も用いた堅牢な造りとなり、被災前と同様に観音菩薩をご本尊として安置しています。現在も震災の教訓を伝えつつ、地域の人々の心の拠り所としての役割を果たし続けています。