| 所在地 | 大阪府豊中市服部豊町1-8-1 |
|---|---|
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 本尊 | 久遠実成本師釈迦牟尼仏(釈迦如来) |
| 創建年 | 寛保元年(1741年) |
| 開山(創立者) | 日俊(曽根法華寺第12世) |
| 旧称 | 止々庵(ししあん) |
純正寺(じゅんしょうじ)は、江戸時代中期の寛保元年(1741年)に創建された日蓮宗の寺院です。 開山(創立者)は、豊中市曽根にあった日蓮宗寺院・曽根法華寺の第12世住職・日俊(にちしゅん)で、 創建当初は「止々庵(ししあん)」と称していました。 後年、開山・日俊の院号「純正院」にちなみ、現在の寺号「純正寺」に改められています。
本尊には、日蓮宗で根本仏とされる久遠実成の釈迦如来が安置され、 法華経の教えをもとに人々の心の支えとなる信仰の場として、長きにわたり地域に親しまれてきました。 純正寺は観光寺院ではなく、あくまで地域に根ざした信仰寺院としての役割を重んじ、 檀信徒や近隣住民との交流を大切にした「親しみやすいお寺」として現在も運営されています。
明治維新後の廃仏毀釈の時代にも純正寺は地域に貢献し、存続を続けました。 特に明治7年(1874年)には、当時「止々庵」と呼ばれていた純正寺の堂宇が、 服部・曽根・岡山・福井の四か村連合による第四番小学校(現・豊中市立中豊島小学校)の開設に利用されました。 これは近代教育制度の黎明期において、寺院が地域社会における教育と文化の拠点であったことを物語る貴重なエピソードです。
昭和以降も、法要・施餓鬼・盂蘭盆会などの行事を通じて、地域住民の信仰の場として機能し続けています。 創建から約280年を経た今日も、純正寺は「静かに祈ることのできる地域の寺」として、 人々の暮らしに寄り添いながらその歩みを続けています。
現在の本堂は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。 江戸期創建の寺院ながら、近代的な外観と高い耐久性を備え、寺観が一新されました。 内部には本尊・釈迦如来をはじめ、日蓮宗の諸尊が安置され、法要の際には地域の檀信徒が集って読経を行います。 本堂前の石畳や整然とした植栽が落ち着いた雰囲気を醸し出し、静寂の中に信仰の温もりを感じさせます。
門前から本堂へ続く参道には、寺号を刻んだ石柱(寺標)や題目塔などの石造物が立ち並びます。 これらは創建以来の歴史を伝えるもので、往時の寺院景観を今に残しています。 手入れの行き届いた境内の植栽とともに、静かな佇まいが訪れる人々を迎えます。
境内に保存されている常夜灯(石灯籠)は、高さ約2.43メートルの堂々たる姿を誇ります。 江戸時代には能勢街道沿い(現在の服部元町付近)に建てられ、街道を行き交う旅人の安全を祈願する文字が刻まれています。 その後、街道整備に伴って純正寺の境内へ移設され、地域の文化財的な史跡として大切に保管されています。 長年にわたり地域の人々の暮らしとともにあった歴史を今に伝える、貴重な石造遺産です。
境内には、かつての道標の一部とみられる石柱も残されています。 これらの石造物は、寺が古くから地域の交通路と密接に関わってきたことを物語るものです。 派手さはありませんが、地元の歴史と生活文化を伝える郷土遺産として大切に守られています。
1741年(寛保元年)
日蓮宗の僧・日俊(曽根法華寺第12世)を開山として創建。 当初は「止々庵(ししあん)」の名で建立され、法華経の教えを広める道場として発展した。
(時期不詳)
開山・日俊の院号「純正院」にちなみ、寺号を「純正寺」と改称。 以後、地域に親しまれる日蓮宗寺院としての歩みを続ける。
1874年(明治7年)
当時「止々庵」と呼ばれていた純正寺の本堂を利用し、 服部・曽根・岡山・福井の四か村連合による第四番小学校(現・豊中市立中豊島小学校)が開設される。 寺子屋から近代学校への転換を示す貴重な歴史的事例となった。
1965年(昭和40年)
老朽化していた木造本堂を鉄筋コンクリート造に建て替え。 近代的な外観により寺観が一新され、地域信仰の場として新たな時代を迎える。