所在地 | 大阪府箕面市箕面公園2-23 |
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宗派 | 本山修験宗(聖護院門跡 本山) |
本尊 | 弁財天(七福神の一柱、日本最古の弁財天) |
創建 | 658年(伝・役行者〈役小角〉開基) |
札所 | 摂津国三十三所第21番札所、摂津国八十八所第55番札所、阪急宝塚線七福神霊場 |
HP | ryuanji.org |
瀧安寺は飛鳥時代創建の伝承を持つ由緒ある寺院で、箕面山が修験道の霊場として発展する礎となりました。創始者とされる役行者(役小角)が箕面大滝で修行中に弁財天の啓示を受け、自ら弁財天像を刻んで祀ったのが起源と伝えられます。以来、奈良時代から平安時代にかけて多くの修行者が入山し、最盛期には80余りの堂宇が立ち並ぶ山岳道場として繁栄しました。
空海(弘法大師)や円珍(智証大師)をはじめ行基、法然、日蓮、蓮如といった名だたる高僧たちが修行や参籠に訪れたとも伝わり、山岳信仰の中心地として歴史に名を刻んでいます。現在の寺域は明治期以降に縮小しましたが、境内は箕面の豊かな自然と調和し、秋の紅葉や新緑に彩られる風景も見どころです。社寺建築では朱塗りの本堂や近代和風建築の鳳凰閣が情緒を醸し、日本最古の弁財天に多くの参拝者が一年を通じて訪れるなど、歴史と文化の魅力を今に伝えています。
境内の中心となる朱色の本堂です。現在の本堂は平成14年(2002年)に再建され、主尊の如意輪観音を安置しています。本堂では災難除けや招福を祈願する参拝者が絶えず、毎年秋の弁財天祭り「箕面富」もこちらで執り行われます。朱柱と瓦屋根の堂宇が周囲の緑や紅葉に映え、箕面の四季を感じられるスポットです。
弁財天を祀る堂宇で、瀧安寺の創祀である弁財天像(本尊)が安置されています。役行者自作と伝わるこの弁天像は、日本で最初に祀られた日本最古の弁財天として信仰を集め、芸能上達や財運向上のご利益を求める参拝客が訪れます。秋には堂前の楓とのコントラストが美しく、写真映えする景観です。
箕面山の入口を護る堂々たる山門で、創建当時から寺を見守ってきた歴史を感じさせます。朱塗りの柱と山号額が掲げられ、門内左右には金剛力士(仁王)像が睨みを利かせています。鬱蒼とした森を背に立つ姿は荘厳で、ここをくぐると修験道の聖域に足を踏み入れる趣があります。
本堂近くで箕面川に架かる朱塗りの太鼓橋です。名称は「瑞雲」(めでたい兆しの雲)に由来し、寺運隆盛を象徴する橋とされています。登録有形文化財に登録されており、緩やかなアーチを描く朱橋と清流、周囲の木々が織り成す風景は四季折々に風情豊かです。特に秋の紅葉時期には橋の朱色と紅葉が競演し、多くの参拝者が足を止めます。
瑞雲橋のたもとに建つ楼閣建築で、その優美な姿から「箕面の鳳凰堂」とも称されます。大正6年(1917年)に近代建築家・武田五一の設計で建立されたもので、平等院鳳凰堂を彷彿とさせる宝形造の楼閣屋根を備えた特異な意匠が特徴です。国の登録有形文化財にも指定され、内部は特別拝観時に公開されます。楼上には修験道開祖・役行者の御影を安置し、そこから望む箕面川渓谷の景観は格別です。紅葉期には鳳凰閣と溪谷美の競演が楽しめ、写真愛好家にも人気のスポットです。
境内奥にひっそりと佇む入母屋造の鐘楼堂です。鋳鉄製の梵鐘は朝夕に澄んだ音色を響かせ、山寺の静寂をより一層際立たせます。大晦日には除夜の鐘が撞かれ、近隣住民や参拝者が一年の厄を払うために訪れます。新緑や雪景色の中の鐘楼も風情があり、瀧安寺の隠れた撮影スポットとなっています。
658年
(斉明天皇4年)
修験道の開祖・役行者(役小角)が箕面山で修行し、弁財天の示現を受けて自作の弁財天像を滝旁に祀る。これをもとに山岳道場「箕面寺」が開創されたと伝えられる。
8世紀
(奈良時代)
行基菩薩が布教を行い堂宇を整備したといわれる。奈良~平安期には空海(弘法大師)や円珍(智証大師)らも箕面山で修行し、寺勢が最高潮に達する。堂塔伽藍は山内に80余棟を数えた。
14世紀中頃
(南北朝時代)
後醍醐天皇が弁財天に祈願し願いが成就したことで、勅により寺号を「瀧安寺」と改めたと伝わる。以後、皇室・朝廷ゆかりの霊場として尊崇を受けた。
1603年頃
(慶長8年)
江戸時代初期、瀧安寺で福運を占う富くじ「箕面富」が始まる。毎年秋に開帳され庶民の人気を博し、「富くじの寺」として知られるようになる。現在の宝くじの原型ともいわれ、400年以上続く伝統行事となった。
1871年
(明治4年)
廃仏毀釈と修験道廃止令により堂塔伽藍が大打撃を受け、境内地のみ存続。旧境内地は茶屋や土産物店が立ち並ぶようになり、修験の道場の面影は一部のみ残る。
1917年
(大正6年)
建築家・武田五一の設計により、近代和風建築の楼閣「鳳凰閣」を新築。後に国の登録有形文化財に登録され、箕面の新名所となる。
1945年
(昭和20年)
第二次大戦終戦後、禁止されていた修験道が復興。瀧安寺は本山修験宗の別格本山として宗教活動を再開した。
2002年
(平成14年)
老朽化していた本堂(観音堂)を檜皮葺屋根の堂宇として再興。内部には如意輪観音・阿弥陀如来・役行者像を安置し、境内整備も併せて実施された。
2018年
(平成30年)
9月の台風21号で鳳凰閣・客殿など主要建造物が大きな被害を受けた。その後約2年の修復工事を経て2020年末に復旧。これを契機に文化財保護と災害対策の重要性が見直され、地域と協力した保存活動が進められている。