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浄教寺じょうきょうじ

教如門下の慶誓が堺に開いた古寺で、天満へ受け継がれた真宗大谷派の歴史寺院

所在地 大阪府大阪市北区天満4丁目11-6
山号 紫雲山
宗派 浄土真宗・真宗大谷派(東本願寺)
本尊 阿弥陀如来
創建 慶長年間(1596〜1615年)
開基 慶誓(本願寺教如の門弟)
正式名 浄教西方往生極楽寺
電話 06-6352-5846

石山本願寺の伝統を受け継ぎ、幾度の災禍を越えて天満の地に根ざす真宗大谷派の古寺

浄教寺(じょうきょうじ)は、安土桃山時代末期の慶長年間に、石山本願寺の流れを継ぐ教如上人(東本願寺初代門首)の高弟・慶誓によって創建された真宗大谷派(東本願寺)の寺院です。創建の地は堺で、自由都市として栄えた堺において浄土真宗の布教拠点として始まったと伝えられています。

江戸幕府成立後、大坂が商都として発展する中で浄教寺も移転を重ね、寛永9年(1632年)には大坂市中の今橋五丁目へ寺基を移し、地域の門徒を対象に布教・法要を行いました。この頃、大坂には多くの真宗寺院が集まり、浄教寺もその一角として地域に深く根付いた存在となりました。

しかし江戸時代の大坂は大火の多い都市であり、浄教寺もたびたび災禍に見舞われました。享保9年(1724年)の享保大火では堂宇を悉く焼失し、門徒の支援によって再建が行われました。文政5年(1822年)に本堂が再建されたものの、天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱に伴う大火でも再び堂宇を失い、安政4年(1858年)に再建を果たしています。度重なる災害を乗り越え再建された本堂は、幕末期の浄教寺の姿を形成する基盤となりました。

明治時代に入ると、都市化や廃仏毀釈の影響を受けつつも浄教寺は存続し、詳細な時期は不明ながら現在地である天満4丁目へ移転したとされます。天満は大阪天満宮を中心に寺社が集まる地域であり、真宗大谷派の天満別院をはじめとする寺院群が形成されました。浄教寺もその中の一寺として地域に根ざし、門徒の信仰を支える場となっています。

現在の浄教寺は一般公開されておらず、観光寺院としての性質は持ちませんが、住宅街の中にひっそりと佇み、門徒向けの法要と行事が静かに営まれる寺院です。石山本願寺に連なる歴史と、大坂の町とともに歩んできた再建の物語を伝える、地域密着の真宗寺院として今日まで受け継がれています。

  • 民家に囲まれた静かな境内

    浄教寺は市街地の住宅街に溶け込むように位置し、こじんまりとした境内が特徴です。外からは落ち着いた佇まいが感じられ、地域に根ざした寺院としての雰囲気を漂わせています。

  • 近代的で実用的な山門

    表通りに面した山門は鉄筋コンクリート造風の近代的な門で、伝統的楼門とは異なる実用本位の外観となっています。近年建て替えられたもので、都市環境に適応した寺院スタイルが見られます。

  • 幕末再建の木造瓦葺き本堂

    山門の奥には木造瓦葺きの本堂が建ち、天保8年の焼失後に安政4年(1858年)に再建されたものが起源と伝えられています。規模は大きくないながらも、幕末期の真宗寺院建築の面影を今に残す貴重な堂宇です。

  • 非公開の内陣と阿弥陀如来像

    本堂の内部には阿弥陀如来像が安置され、浄土真宗寺院らしく内陣・外陣の構成が整えられていますが、内部は一般非公開であり、門前から外観を眺めるのみとなります。

  • 庫裏や納骨施設の存在

    本堂に付随して庫裏(住職の居宅兼寺務所)や納骨施設が配置されていると考えられますが、境内が非公開のため詳細は不明です。生活空間と宗教空間が一体となった伝統的な構成であることがうかがえます。

  • 文化財指定はなく素朴な寺観が残る

    公的な文化財指定を受けた寺宝や建築はありませんが、境内全体は塀で囲まれた静かな空間を保ち、素朴で慎ましい姿が再建と存続の歴史を物語っています。

浄教寺のあゆみ

  • 1596〜1615年
    (慶長年間)

    堺での創建

    教如上人の弟子・慶誓が堺に浄教寺を創建。石山本願寺の系譜を引く真宗寺院としての歩みが始まる。

  • 1632年
    (寛永9年)

    大坂市中・今橋五丁目へ移転

    大坂城下の今橋五丁目(現・大阪市中央区)へ寺基を移す。商都大坂の中心地で門徒向けの布教と法要を続ける。

  • 1724年
    (享保9年)

    享保の大火で堂宇焼失

    享保の大火で市中の大半が焼失し、浄教寺も類焼。堂宇を悉く失うが、のちに門徒の支援で再建される。

  • 享保〜寛政期

    堂宇再建と寺勢の維持

    門徒の支援によって堂宇が再建され、都市寺院としての活動を維持。大坂の真宗寺院の一角を担う。

  • 1822年
    (文政5年)

    本堂再建

    文政年間に本堂を中心とする伽藍が再建される。のちの幕末本堂の基盤となる整備が行われた。

  • 1837年
    (天保8年)

    大塩平八郎の乱による焼失

    大坂大火に巻き込まれ堂宇が再び焼失。混乱の中で寺院は大きな打撃を受ける。

  • 1858年
    (安政4年)

    伽藍の再建(現存本堂の起源)

    本堂を含む主要伽藍が再建され、現存する本堂の原形が形成される。幕末期の貴重な寺院建築として現在に伝わる。

  • 明治時代

    現在地・天満へ移転

    近代都市化のなかで寺基を天満へ移転したとされる(時期詳細不詳)。周辺には天満別院や天満宮など寺社が集積し、真宗寺院群の一角を形成。

  • 昭和〜平成期

    都市化に伴う寺域縮小と再整備

    市街化の進展により寺域は縮小したものの、門徒寺院として存続。近年になって山門などの改築が行われる。

  • 令和時代(現在)

    非公開寺院として静かに存続

    一般公開はされていないが、法要時には門徒が集い信仰が継承されている。寺周辺には大阪天満宮や真宗寺院旧跡の石碑が残り、地域の歴史とともに歩んでいる。

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