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浄徳寺じょうとくじ

関ヶ原の年に創建され、四百年以上の歴史を持つ浄土真宗本願寺派の古刹

所在地 大阪府豊中市服部本町5丁目13-1
電話 06-6862-7169
宗派 浄土真宗本願寺派(西本願寺)

大阪大空襲を経て豊中に再興された、信仰と歴史を今に伝える都市近郊の名刹

浄徳寺は大阪府豊中市服部本町に所在する浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院で、その創建は関ヶ原の合戦があった慶長5年(1600年)に遡る。 備後国出身の僧・釋正賢(しゃくしょうけん)が大坂の備後町(現・大阪市北御堂付近)に開いたのが始まりで、寛永8年(1631年)に本願寺より寺号「浄徳寺」が公認され、正式な寺院として認められた。以来、浄土真宗の念仏の教えを広める寺院として発展してきた。

江戸時代中期の延宝8年(1680年)、徳川幕府による大坂市中の町割改編の影響を受け、寺院は葭屋町(現・大阪市西区南堀江付近)に移転。以後、地域門徒に支えられながら寺格を維持し、江戸期を通じて信仰の中心であり続けた。

特筆すべき史実として、宝暦8年(1758年)に当時の住職・暁雲(ぎょううん)が九州薩摩の門徒に宛てた書状が伝わっている。 これは昭和59年(1984年)、鹿児島県の福伝寺で発見されたもので、念仏禁制下の薩摩において本願寺から下付された六字名号(南無阿弥陀仏)の掛軸を粗末にせず、法要の際に掲げて信心を貫くよう諭す内容であった。 当時、浄徳寺は木津川・道頓堀川合流点近くにあり、薩摩との交易路の要衝に位置していたことから、本願寺と薩摩門徒を密かに繋ぐ役割を果たしていたとされる。 この逸話は「薩摩の隠れ念仏」との関わりを示す貴重な史料であり、寺の歴史に深みを加えるものとなっている。

近代に入ると、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲により本堂を焼失するという大きな被害を受けた。 戦後、従来の市街地から離れた現在地(豊中市服部本町)に移転し、昭和26年(1951年)に仮本堂を建立。 その後、昭和36年(1961年)に本堂が再建され、鉄筋コンクリート造ながらも伝統的意匠を取り入れた堂々たる姿を取り戻した。 平成12年(2000年)には創建400年を記念する慶讃法要が営まれ、四世紀にわたる寺の歩みを祝福した。

現在の浄徳寺は、都市近郊にありながら静寂に包まれた環境の中で、阿弥陀如来の教えを伝える道場として地域の信仰を支えている。 長い歴史の中で幾度の移転と再建を経てもなお、その法灯を絶やすことなく守り続けてきた寺院である。

  • 本堂(阿弥陀堂)

    浄徳寺の中心となる御堂で、本尊・阿弥陀如来像を安置している。現在の本堂は1961年に再建された鉄筋コンクリート造で、外観は近代的ながらも伝統的な瓦屋根や木梁が施されている。 内部は浄土真宗寺院の伝統に則り、金箔や漆を用いた荘厳(仏壇・内陣)が整えられ、法要の際には厳かな雰囲気に包まれる。地域門徒にとって信仰の中心であり、心の拠り所として大切に守られている。

  • 山門

    浄徳寺の正門にあたる山門は、質素な石柱門で扁額には「浄徳寺」と刻まれている。 大規模な楼門こそないものの、静かな風格が漂い、門前から本堂へ続く真っ直ぐな石畳が参拝者を導く。 門前の清掃や花の手入れも行き届いており、日常の中で地域の人々に親しまれている。

  • 鐘楼(鐘堂)

    浄徳寺では独立した鐘楼堂はなく、本堂の軒下に梵鐘が吊るされているという珍しい構造をもつ。 鐘は江戸時代の鋳造と伝えられ、朝夕の時報や法要の際に撞かれる。 大晦日には地域住民にも開放され、「除夜の鐘」として親しまれている。澄んだ音色が服部の町に響き、寺の長い歴史を静かに物語る。

  • 石碑・庭園

    境内には寺の再建を記念した石碑や門徒寄進による記念碑が並び、戦後復興に尽力した住職や信徒の想いを今に伝えている。 また、本堂脇には小さな庭園が整えられ、四季折々に草花が咲き誇る。 春の新緑、夏の青葉、秋の紅葉と、自然の移ろいが境内を彩り、訪れる人にやすらぎを与えている。

浄徳寺のあゆみ

  • 1600年(慶長5年)

    創建(大坂・備後町)

    備後国出身の僧・釋正賢が大坂の備後町(現・北御堂付近)にて浄徳寺を開創。関ヶ原の戦いの年にあたり、この頃より念仏道場として活動を開始した。

  • 1631年(寛永8年)

    寺号「浄徳寺」公称

    本願寺(西本願寺)より寺号「浄徳寺」の公称許可を受け、正式な寺院として認可される。開基は釋正賢。

  • 1680年(延宝8年)

    葭屋町へ移転

    徳川幕府の町割改編により、大坂市中の葭屋町(現・大阪市西区南堀江付近)に移転。以後、江戸時代を通じて同地で存続し、地域門徒に支えられた。

  • 1758年(宝暦8年)

    薩摩門徒への書状

    当時の住職・暁雲が薩摩の門徒に宛てて念仏秘護の書状をしたためる。 1984年に鹿児島県で発見され、浄徳寺が薩摩の隠れ念仏と関わりを持っていた史実が確認された。

  • 1945年(昭和20年)

    大阪大空襲による焼失

    3月13日の大阪大空襲で本堂を焼失。終戦後、被災した市街地から現在地(豊中市服部本町)へと移転し、再建が始まる。

  • 1951年(昭和26年)

    仮本堂の建立

    豊中市服部本町の新たな寺地に仮本堂を建立。戦後復興の第一歩として再興を果たす。

  • 1961年(昭和36年)

    本堂再建

    鉄筋コンクリート造による本堂が完成。伝統的意匠を取り入れ、現代的な構造で再興された。

  • 2000年(平成12年)

    創建400年記念法要

    創建400年を記念する慶讃法要を厳修。長い歴史を経て、地域の信仰と共に歩んできた節目を祝う。

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