| 所在地 | 大阪府大阪市住吉区上住吉1丁目9-29 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土宗 |
| 山号 | 十輪山(じゅうりんざん) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 永禄元年(1558年) |
| 文化財 | 石造地蔵菩薩立像(油かけ地蔵尊) |
浄光寺は、大阪市住吉区上住吉に位置する浄土宗(知恩院末)の寺院です。山号は「十輪山」、本尊として阿弥陀如来を安置しています。永禄元年(1558年)に岌誉上人によって開創されたと伝えられており、江戸時代以降は地域の檀信徒によって支えられてきた古寺です。
特に有名なのが境内に祀られている「油かけ地蔵尊」です。文久2年(1862年)に住吉一帯で疫病が流行した際、「油をかければよい」とのお告げを受けた老女が地蔵菩薩に油を注ぎ祈願したところ息子の病が平癒したという伝承が残されています。以降、無病息災を願って地蔵尊に油をかける風習が続けられ、病気平癒のご利益で広く知られるようになりました。
第二次世界大戦末期の大阪大空襲(昭和20年6月1日)では本堂を含む堂宇がことごとく焼失し、貴重な寺宝や由緒書も失われました。しかし石造の地蔵堂だけは焼け残ったと伝えられており、戦後に檀家の人々の尽力で本堂などが再建されています。
現在でも毎月23日・24日の地蔵尊の縁日に信徒の集い(地蔵講)が行われ、盆の地蔵盆には多くの提灯が奉納されるなど、地域に根付いた信仰行事が受け継がれています。一般参拝は不可ですが、寺外からでも油かけ地蔵尊に手を合わせる人が絶えません。
文久2年の疫病流行時に由来する「油かけ地蔵尊」は、病気平癒のご利益で知られています。無病息災を願い地蔵尊に油をかける独特の風習が今も続けられています。
毎月23日・24日の縁日には信徒の集い(地蔵講)が行われています。盆の地蔵盆には多くの提灯が奉納され、地域に根付いた信仰行事として親しまれています。
昭和20年の大阪大空襲で本堂を含む堂宇が焼失する中、石造の地蔵堂だけは焼け残ったと伝えられています。戦禍を乗り越えた油かけ地蔵尊の存在は信仰をさらに深めました。
浄光寺は「十輪山」の山号を持ち、永禄元年に岌誉上人によって開創されました。460年以上の歴史を持つ住吉の浄土宗古刹です。
永禄元年
(1558年)
岌誉上人によって住吉の地に一宇が建立されました。十輪山と号し、阿弥陀如来を本尊に安置して浄土宗の念仏道場としての歩みを始めています。
安土桃山時代
(16世紀後半)
戦国の動乱を経て寺基を確立しました。住吉大社に近い立地から参詣者にも知られ、地域の菩提寺としての役割を果たすようになっています。
江戸時代初期
(17世紀)
江戸幕府の寺社制度のもと、住吉周辺の檀家の菩提寺として繁栄しました。浄土宗知恩院末の寺院として法要・葬送を担っています。
江戸時代中期
(18世紀)
境内に祀られた地蔵菩薩像が地域の人々の信仰を集めるようになりました。地蔵講や地蔵盆などの信仰行事が盛んに営まれています。
文久2年
(1862年)
住吉一帯で疫病が流行した際、お告げを受けた老女が地蔵菩薩に油を注ぎ祈願したところ息子の病が平癒しました。これが「油かけ地蔵尊」の由来であり、以降無病息災を願う風習が続けられています。
明治〜大正時代
(19世紀後半〜20世紀初頭)
病気平癒のご利益で油かけ地蔵尊の信仰が広がり、遠方からも参詣者が訪れるようになりました。毎月の縁日には多くの人々が集っています。
昭和20年
(1945年)
大阪大空襲により本堂を含む堂宇がことごとく焼失し、貴重な寺宝や由緒書も失われました。しかし石造の地蔵堂だけは焼け残り、油かけ地蔵尊は難を逃れています。
戦後
(昭和20年代〜)
檀家の人々の尽力により本堂などが再建されました。油かけ地蔵尊を中心とした信仰も復興し、地域の信仰の場として再び活気を取り戻しています。
現在
毎月23日・24日の縁日には地蔵講が行われ、地蔵盆には多くの提灯が奉納されるなど、油かけ地蔵尊への信仰は今も地域に深く根付いています。460年以上の歴史とともに住吉の地で親しまれ続けています。