関西の寺院3,000の歴史を取材
寺院253件の情報を掲載(2026年1月16日現在)

ホーム > 大阪府 > 浄信寺

浄信寺じょうしんじ

天満で創建され、都市の変遷とともに歩んできた真宗大谷派の寺院

所在地 大阪府大阪市北区西天満1丁目9-3
宗派 浄土真宗大谷派(東本願寺)
山号 至暁山
本尊 阿弥陀如来
創建 慶長11年(1606年)
電話 06-6361-8447

江戸初期に天満で創建され、都市の移り変わりとともに歩んできた真宗大谷派の寺院

浄信寺(じょうしんじ)は、慶長11年(1606年)に大阪・天満の源蔵町で創建された浄土真宗大谷派(東本願寺系)の寺院です。石山本願寺の後継として大阪に広がった東本願寺教団の流れを汲む寺院の一つで、都市部における門徒(檀信徒)の拠点として建立されたと考えられています。開基については明確な史料が残っていませんが、寺号「浄信寺」は“浄土への信心”を象徴する名称であり、当時の教団の思想が反映された寺名であると推察されます。

江戸時代、大阪の町は度重なる区画整理や都市整備によって大きく変貌しましたが、浄信寺もそれに合わせて所在を移しました。寛文2年(1663年)には天満十一丁目へ、延宝4年(1676年)には南森町へ移転し、さらに享保10年(1725年)には天満堀(天満樋)地域へと移され、現在の西天満付近に寺基を置くことになります。文政5年(1822年)には境内地を拡張し、都市寺院としての体制を整えました。

その後、明治・大正・昭和を通じて西天満の地に伽藍を構え続け、地域門徒の念仏道場として今日まで法灯を守り続けています。現在浄信寺は一般公開されておらず、観光寺院とは異なり檀信徒のための法要・行事が中心となる非公開寺院ですが、都市の歴史とともに生きてきた静かな信仰空間としてその存在を保ち続けています。

  • ビル型本堂を中心とした都市型寺院

    浄信寺の現在の伽藍は、鉄筋コンクリート造のビルディング形式で構成され、外観は5階建て前後のマンションのようにも見える近代的建築です。従来の伽藍配置とは異なり、本堂や庫裏などの機能が建物内部に集約されています。

  • 山門風の意匠を持つ正面入口

    正面入口には瓦屋根を載せた山門風の構えが設けられ、寺号を記した額が掲げられています。外観からは寺院とわかりにくい建物の中で、この部分が唯一「寺院らしさ」を示すポイントです。

  • 鐘楼や経蔵のない一体型伽藍

    鐘楼・経蔵などの独立した堂宇は存在せず、本堂(礼拝堂)・庫裏などの機能がすべてビル内部に収納されています。都市の狭小地に対応した実用重視の構造です。

  • オフィスビルのような外観と寺院らしさの対比

    外観は非常に整った現代建築で、初見では日本料理店やオフィスビルと誤認されるほど寺院らしさが希薄です。山門風入口を除けば、従来の仏教建築とは大きく異なる印象を与える都市型寺院の一例となっています。

浄信寺のあゆみ

  • 1606年
    (慶長11年)

    浄信寺の創建

    大坂天満・源蔵町に浄信寺を創建。東本願寺教団の都市部拠点として寺史が始まる。

  • 1663年
    (寛文2年)

    天満十一丁目へ移転

    大坂市内の天満十一丁目へ寺基を移転。都市整備の進行に合わせ立地を変える。

  • 1676年
    (延宝4年)

    南森町へ移転

    大坂南森町へ移転し、門徒寺院としての活動を継続。地域の真宗寺院群の一角となる。

  • 1725年
    (享保10年)

    天満堀(現・西天満付近)へ移転

    現在の所在地に該当する天満堀付近へ移転。以後、この地を中心に寺院活動が行われる。

  • 1822年
    (文政5年)

    境内地の拡張

    都市寺院としての基盤を固めるため境内地を拡張。以後、明治・大正・昭和を経て現在に至るまで地域の門徒寺院として存続。

← 一覧に戻る