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浄久寺じょうきゅうじ

江戸期に創建され、岡町北の地で地域とともに歩む浄土真宗本願寺派の寺院

所在地 大阪府豊中市岡町北2-11-17
電話 06-6852-5190
宗派 浄土真宗本願寺派
最寄駅/アクセス 阪急「岡町」駅から徒歩約5分
備考・特徴 境内で子ども食堂「浄久寺てらこや食堂」を運営
御朱印を発行(電子御朱印対応)

阿弥陀如来を本尊とし、400年の歴史と現代の地域福祉をつなぐ開かれたお寺

浄久寺(じょうきゅうじ)は、大阪府豊中市岡町北にある浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院で、静かな住宅街に佇む地域密着型の古刹である。 創建年代の詳細は不明だが、江戸時代までにはこの地に建立されたと考えられており、浄土真宗が戦国末期から江戸初期にかけて広がる中で、当地でも門徒による念仏道場が生まれ、これが浄久寺の前身となったと伝わる。

当時の豊中地域は戦乱の影響を強く受け、近隣の寺院も焼失・再建を繰り返した。 浄久寺もその例に漏れず、安土桃山期の混乱を経て江戸期に再興されたとみられる。 江戸時代には浄土真宗本願寺派の寺院として地域信仰の中心となり、本尊に阿弥陀如来を安置。 歴代住職たちは親鸞聖人の教えを広める傍ら、寺子屋教育などを通じて地域社会に貢献した。

明治時代の廃仏毀釈の影響を受けることなく寺院を護持し、明治33年(1900年)には本堂が建て替えられた。 当時の写真資料にも当寺の姿が残されており、地域の信仰拠点としての存在感を示している。 第二次世界大戦中も戦火を免れ、戦後は変わりゆく町並みの中でその姿を保ち続けている。

現代の浄久寺は、森祐昭住職と森祐真副住職のもとで、伝統的な仏事に加え地域福祉・教育にも力を注いでいる。 「お寺開放デー」や子ども食堂「てらこや食堂」などを定期的に開催し、地域交流の拠点として機能している。 長い歴史を持つ寺院でありながら、時代に合わせた新しい試みを行う「開かれたお寺」として親しまれている。

  • 本尊 阿弥陀如来像

    浄久寺の信仰の中心である本尊・阿弥陀如来像は、立像または坐像の形で安置されている。 公的指定はないが、制作年代は江戸時代以前とされ、豊中市内の平安期阿弥陀像に匹敵する古仏と考える説もある。 長年にわたり門徒に守られ続け、地域信仰の象徴として大切に継承されている。

  • 梵鐘(つり鐘)

    江戸時代・天明6年(1786年)鋳造の梵鐘が現存。胴部には銘文や梵字が刻まれており、当時の鋳物技術を伝える。 豊中市の文化財リストにも同年銘の梵鐘が記されており、浄久寺の鐘である可能性が高い。 毎年大晦日には除夜の鐘として撞かれ、澄んだ音色が町に響く。

  • 寺宝・古文書

    親鸞聖人の御影や歴代住職による古文書、明治期のお西版経本など、非公開ながら寺史を語る資料を所蔵。 仏具には金燈籠や華鬘(けまん)など、江戸~明治期の優美な工芸品が伝わり、浄土真宗の美意識を今に伝えている。

  • 本堂(阿弥陀堂)

    明治33年(1900年)に再建された木造瓦葺の堂宇。入母屋造の重厚な屋根と軒唐破風を備え、下り藤紋の瓦が印象的。 内陣には欄間彫刻や彩色が施され、金色に輝く阿弥陀如来と荘厳が訪れる人の目を引く。 法要の際には読経の声が響き、400年の歴史を感じさせる。

  • 山門(入口門)

    境内入口に建つ薬医門形式の木造門で、両脇に袖塀を備える。門柱の額には寺号が掲げられ、瓦には下り藤紋が見られる。 普段は開放され、朝夕には通行人が気軽に手を合わせる姿が見られる。住宅街の中に静かに佇む風格ある門である。

  • 鐘楼(しょうろう)

    本堂横に建つ小さな鐘楼堂には、江戸時代鋳造の梵鐘が吊るされている。 木造檜皮葺き風の一間四方の建物で、風雪に耐えた木材が時代の重みを伝える。 大晦日の夜には地域住民も参加して鐘を撞き、新年の訪れを告げる。

  • 石碑・史跡

    境内には門徒総代の寄進碑や地蔵菩薩像、「南無阿弥陀仏」を刻んだ石柱などが並ぶ。 これらの石造物は、浄久寺を信仰した人々の願いや感謝の証として今も残されている。 小規模ながら寺の歴史と信仰の厚みを感じさせる史跡群である。

  • 庭園・植栽

    本堂前には玉砂利を敷いた小庭があり、モミジやイチョウが季節ごとに彩りを添える。 秋には黄や紅に染まる木々が美しいコントラストを描き、初夏には紫陽花や牡丹が咲く。 手入れの行き届いた庭は、訪れる人に安らぎを与える憩いの場となっている。

  • 寺務所・庫裡(くり)

    本堂に隣接する木造平屋の庫裡では、御朱印の受付や法要準備が行われる。 表札には「浄久寺」と記され、訪問者にも温かく対応してくれる。 住職や僧侶の人柄が感じられるアットホームな雰囲気が魅力である。

浄久寺のあゆみ

  • 創建不詳(江戸時代頃)

    浄久寺の成立

    当地に念仏道場が開かれ、浄土真宗本願寺派の寺院として成立。開基の詳細は不明だが、戦国~江戸初期にかけて門徒の信仰によって創建されたと伝わる。

  • 戦国時代末期(16世紀後半)

    戦乱による荒廃

    石山合戦や豊臣政権下の戦乱により、周辺寺院が焼失。近隣の圓満寺も被害を受けた記録があり、浄久寺も一時荒廃した可能性がある。

  • 江戸時代(17~19世紀)

    再興と発展

    麻田藩の統治下で地域が安定し、浄久寺は再興。浄土真宗本願寺派の寺院として門徒を集め、地域信仰の拠点となる。

  • 1786年(天明6年)

    梵鐘の鋳造

    この年の銘を持つ梵鐘が鋳造されたと伝わる。豊中市指定有形文化財に登録されている同年銘の鐘と同時期のものとされ、江戸期の寺院文化を今に伝える。

  • 1900年(明治33年)

    本堂の改築

    明治期の古写真に「浄久寺 明治33年」と記されており、この頃に現在の本堂が再建された。 木造和風建築の堂宇が完成し、以後120年以上にわたり使用されている。

  • 1945年(昭和20年)

    戦時下と戦後の復興

    大阪空襲の際も岡町周辺は戦災を免れ、堂宇を保持。戦後は地域住民の心の支えとして寺の活動を継続した。

  • 2000年(平成12年)

    本堂建立100年記念

    本堂建立から100年を迎え、記念法要が営まれる。寺宝や歴史を振り返る行事が開催されたと推定される。

  • 2023年(令和5年)

    地域交流と福祉活動

    境内で地域交流イベント「流しそうめん」を開催。寺子屋活動の一環として子ども食堂「てらこや食堂」を実施し、約80人の親子が参加。 現住職のもとで、伝統行事と現代的な福祉活動を両立する地域に開かれた寺院として歩みを続けている。

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