所在地 | 大阪府豊中市本町3-10-5 |
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宗派 | 浄土真宗本願寺派(お西さん) |
山号 | 當恵山(とうけいざん) |
本尊 | 阿弥陀如来(立像) |
開創 | 慶長18年(1613年) |
開基 | 辻本又右衛門(つじもと またえもん) |
現住職 | 辻本純昭(第12世) |
拝観 | 自由(拝観料無料) |
法雲寺(ほううんじ)は、江戸時代初期の慶長18年(1613年)に、豊臣期の本願寺第11代宗主・顕如上人の直弟子であった辻本又右衛門(号:教順)によって開かれた浄土真宗本願寺派の寺院である。 以降、辻本家が代々住職を務め、現在は第12世・辻本純昭師が法灯を継いでいる。 創建から400年以上を経た現在も、豊中本町の中心地において地域の人々の信仰の場として親しまれている。
境内には江戸後期に建立された重厚な二階建ての山門がそびえ、往時の風情を今に伝えている。 楼門形式の山門は、下層が四脚門、上層が三間二階造りで、正面に花頭窓(かとうまど)を備えた優美な意匠が特徴である。 かつては上層に梵鐘が吊るされ、鐘楼門としての機能も果たしていたが、第二次世界大戦中の金属供出により鐘を失い、現在は門のみが残る。 文化財指定こそないものの、江戸の風情を今に伝える歴史的建造物として地域の景観を彩っている。
本堂に安置される本尊・阿弥陀如来像は、創建当初から伝わる立像である。 わずかに前傾して立つその姿には、阿弥陀仏が衆生に歩み寄る慈悲の心が表されており、訪れる人々の心を静かに癒す。 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えに基づき、「誰もが救われる」という阿弥陀の本願を身近に感じられる寺として、法雲寺は長年にわたり地域の信仰を支え続けている。
また、法雲寺の大きな魅力の一つは「地域に開かれた寺院」であることだ。 毎月の写経会や法話会に加え、英会話クラブなど現代的な学びの場も提供しており、門信徒に限らず一般の市民も無料で参加できる。 さらに、昭和56年(1981年)には境内の約3分の1を整備し、「法雲寺スポーツ公園(バスケットボールコート)」を設置。 子どもから大人まで自由に利用できる地域の憩いの場として親しまれている。 寺院がスポーツ施設を提供する例は全国的にも珍しく、伝統と現代性を融合させたユニークな取り組みとして注目されている。
現住職・辻本純昭師は「開かれたおもしろいお寺」を目指しており、法雲寺は宗教の枠を超えて人々が集い、心を通わせる場として機能している。 その親しみやすさと文化的活動の豊かさから、観光客や参拝者にとっても魅力的な訪問先となっている。
法雲寺の象徴ともいえる山門は、江戸時代後期に建立された切妻造瓦葺きの二階門。 下層には金剛力士像(仁王像)が安置され、参拝者を力強く迎え入れる。 花頭窓を備えた上層の意匠や細部の彫刻は職人技の粋を集めたもので、「豊中でも指折りの風格ある山門」と称される。 かつては梵鐘が吊るされ、鐘楼門としての役割も果たしていた。
入母屋造の本堂は昭和9年(1934年)に再建されたもので、堂々とした大屋根が特徴。 内部には創建当初から伝わる阿弥陀如来像が安置され、金色の須弥壇と美しい欄間彫刻が厳かな雰囲気を醸す。 普段は非公開だが、法要や行事の際には参拝者も本尊拝観や焼香が可能である。
本堂前左手に立つ親鸞聖人像は、御誕生800年・立教開宗750年を記念して昭和46年(1971年)に建立された。 高さ約2メートルの立像が穏やかな表情で境内を見守り、台座には聖人の言葉「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」が刻まれている。 参拝者はまずこの像に手を合わせてから本堂に向かうのが習わしである。
本堂右手に立つ顕彰碑は、江戸後期に西本願寺御影堂修復事業で殉難した門徒・山中作右衛門を偲んで建立された。 昭和48年(1973年)に建てられたこの碑には、本願寺第十九代法主・本如上人から香盒が下賜された逸話が記されている。 境内を静かに見守る石碑からは、寺と門徒の絆と信仰の深さが感じられる。
境内には本堂に隣接して庫裡(くり)や納骨堂が建ち、寺院の中心機能を担っている。 墓地には歴代住職や門徒の墓碑が整然と並び、長い歴史の重みを静かに伝えている。 四季折々の花木が植えられ、春の桜や秋の紅葉が訪れる人々の目を楽しませる。
境内北側に設けられた「法雲寺スポーツ公園」は、昭和56年(1981年)に開設されたバスケットボールコート付きの広場。 子どもから大人まで自由に利用でき、地域の憩いの場として親しまれている。 昼下がりには子どもたちが元気にボールを追う姿が見られ、寺院と地域の温かい共生を象徴する光景となっている。
1613年(慶長18年)
豊臣秀吉の時代の直後、辻本又右衛門(号・教順)が本願寺第11代宗主・顕如上人に師事して法雲寺を創建。 豊中の地に浄土真宗寺院が建立され、以後辻本家が代々住職を務める。
江戸後期(19世紀初頭)
現在の二階建て楼門形式の山門を建立。 下層が四脚門、上層に梵鐘を吊るした構造で、以後寺の象徴として現在まで残る。
1810年頃(文化年間)
西本願寺御影堂修復事業に法雲寺門徒が参加。 門徒・山中作右衛門が用材運搬中の事故で殉職し、本願寺第十九代本如上人から法名と香盒を授与される。 この功績を称え、後年に顕彰碑が建立された。
1934年(昭和9年)
老朽化した本堂を再建。 現在の本堂が落成し、荘厳な阿弥陀堂として再興される。
1943年(昭和18年)
太平洋戦争中の金属類回収令により、山門上層の梵鐘を供出。 戦後も鐘は戻らず、山門は鐘楼を兼ねない姿となる。
1971年(昭和46年)
親鸞聖人降誕800年・立教開宗750年を記念して、門徒の寄進により親鸞聖人立像を建立。 本堂左前に安置され、聖人の言葉「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」が刻まれる。
1973年(昭和48年)
山中作右衛門の事績を後世に伝えるため、顕彰碑を建立。 除幕法要が営まれ、地域の門徒とともにその功績を称えた。
1981年(昭和56年)
境内北側の敷地を整備し、無料で利用できるバスケットボールコート「法雲寺スポーツ公園」を開設。 地域の青少年育成と交流の場として親しまれている。
以降~現代
月例の写経会・法話会・英会話教室など多様な活動を継続。 2025年(令和5年)には現住職の下で新たに浄土真宗の勉強会が始まり、伝道と地域貢献を続けている。