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法泉寺ほうせんじ

戦国期に成立し、朱塗りの山門と鐘楼を伝える浄土真宗本願寺派の古刹

所在地 大阪府吹田市江坂町3-21-2
TEL 06-6384-9569
宗派 浄土真宗本願寺派
山号 甘露山(かんろさん)
本尊 阿弥陀如来(木造坐像)
創建 不詳(※戦国期には既に存在)
文化財等 山門(薬医門)・鐘楼(吹田風物百選に選定)

石山合戦ゆかりの鐘楼や明治期に移築された薬医門が残り、「吹田風物百選」に選ばれる地域の文化的象徴

法泉寺の正確な創建年は不明ですが、戦国時代末期には当地に浄土真宗の道場として存在していたと伝えられています。石山合戦(1570~1580年)の際には石山本願寺に米36俵を送って支援し、その謝礼として大坂の津村御坊(現・北御堂)から欅造りの鐘楼が移設されたといわれています。この鐘楼は入母屋造(二重屋根)風の堂々たる建築で、450年以上経た現在も重厚な姿を保ち、毎年盆や大晦日には鐘の音を響かせています。

江戸時代に入ると法泉寺は西本願寺系寺院の一つとして地域の信仰を集め、本尊の阿弥陀如来を安置して念仏の教えを広めました。天明8年(1788年)には和算家・渡辺英綱が当寺に滞在中に亡くなったと伝わり、その墓が境内に残されています。学問や文化とも縁のある寺院として歴史の一端を担ってきました。

明治維新後には、大阪・天満の川崎東照宮が廃社となった際に、その遺構である朱塗りの薬医門が移築されました。朱色の門は浄土真宗の寺院では珍しく、武家屋敷の正門を思わせる風格を漂わせています。この薬医門と鐘楼はいずれも由緒ある建造物として平成期に吹田市の「風物百選」に選定され、地域の文化的シンボルとなっています。訪れる際には、これらの歴史的建築を通じて江戸から明治にかけての歴史の重みを感じることができます。

  • 本堂

    境内奥に建つ本堂は、白壁と瓦屋根を備えた落ち着いた雰囲気の木造建築です。 内部には本尊・阿弥陀如来が安置され、荘厳な御仏壇が設けられています。 普段は地域の法要(春秋の彼岸会やお盆法要)や法事に利用され、畳敷きの広間で静かにお参りが可能です。 近年では落語会など文化行事の会場として開放され、寺院と地域社会をつなぐ役割も担っています。

  • 山門(薬医門)

    法泉寺の表玄関にあたる朱塗りの薬医門は、一間一戸の重厚な造りです。 元は江戸時代初期に創建された川崎東照宮(徳川家康を祀る神社)の門が移築されたと伝わります。 切妻造の屋根と白漆喰壁の袖塀を伴う門構えは武家文化の面影を今に伝え、吹田の名所として市民に親しまれています。

  • 鐘楼

    山門脇に建つ鐘楼は、欅材で組まれた四本柱の吹放し構造で、安土桃山時代の趣きを残しています。 梁に吊るされた青銅製の梵鐘は、石山合戦の功績を讃えて本願寺から贈られたと伝わり、寺の象徴として守られてきました。 大晦日には除夜の鐘が撞かれ、荘厳な音色が響き渡ります。朱塗りの山門とともに「吹田風物百選」に選ばれています。

  • その他の見どころ

    境内には石碑や小堂が点在し、往時の歴史を偲ばせます。山門脇には「渡辺英綱之墓」と刻まれた石塔があり、歴史ファンの注目を集めます。 また周辺には素盞嗚尊神社(江坂神社)や油かけ地蔵といった史跡もあり、散策とあわせて訪れるのもおすすめです。 年間を通じて花まつりや報恩講、盂蘭盆会などの仏教行事が営まれるほか、住職発案の「寺院寄席(落語会)」や「テラヨガ」などユニークな催しも開催されています。 観光で訪れた際に行事に合わせれば、地元の人々との交流を楽しむことができます。

法泉寺のあゆみ

  • 1570~1580年
    (元亀~天正年間)

    石山合戦と鐘楼拝領

    石山合戦の折、本山・西本願寺(石山本願寺)を支援した謝礼として、津村御坊(北御堂)から鐘楼堂を拝領。この頃までに法泉寺は浄土真宗の寺院として成立していた。

  • 1788年
    (天明8年)

    渡辺英綱の墓

    江戸中期の和算学者・渡辺英綱が江坂の法泉寺滞在中に病没したと伝わる。境内に墓石が建立され、その名を後世に伝えている。

  • 1873年
    (明治6年)

    薬医門の移築

    川崎東照宮(大阪市北区)が廃社となり、旧社殿の薬医門が法泉寺に移築される。朱塗りの山門は以後、法泉寺の象徴として親しまれる。

  • 2009年
    (平成21年)

    吹田風物百選に選定

    法泉寺の薬医門および鐘楼が「吹田風物百選」に選定。市民に愛される歴史的景観として評価され、保存活動が続けられている。

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