所在地 | 大阪府箕面市箕面1丁目7-35 (阪急箕面線「箕面駅」から徒歩約7分) |
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宗派 | 浄土宗(知恩院末寺) |
山号 | 高岳山 |
院号 | 無量院 |
本尊 | 阿弥陀如来(両脇に観音菩薩・勢至菩薩) |
創建 | 1562年(永禄5年) |
開山(創建者) | 昇蓮社峻誉上人 |
札所 | 摂北三十三観音霊場 第30番札所 |
法林寺は16世紀後半、戦国時代真っ只中の永禄5年(1562年)に昇蓮社峻誉上人によって開かれた浄土宗寺院です 。浄土宗の開祖・法然上人の教えにならい、どんな人でも念仏を唱えれば阿弥陀如来に救われるという庶民的な信仰を背景に創建されました 。本尊の阿弥陀如来像を中央に、左右に観音菩薩と勢至菩薩を配した三尊像が安置されており、その阿弥陀如来は極楽浄土への導き手として厚く信仰されています 。寺域は箕面公園(箕面の滝道)沿いの高台に位置し、細い路地の石段を登った先にあります。境内からは眼下に箕面市街を一望でき、晴天時の眺望は「これを見るだけでも来る価値がある」と評されるほどです 。こぢんまりとした伽藍ながらも石垣や土塀がめぐらされた佇まいに風格があり、歴史情緒と自然美が融合したその雰囲気は訪れる人々を惹きつけています。
法林寺の本堂。入母屋造瓦葺きの質素な堂宇で、本尊の阿弥陀如来坐像と両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩像が安置されています 。阿弥陀如来像は創建当初から伝わるものとされ、浄土宗のシンボルとして信仰の中心になっています。その穏やかな微笑みをたたえたお姿は訪れる人々の心を和ませてくれます。
本堂に隣接する小堂。摂北三十三ヶ所観音霊場の第30番札所にあたることから、如意輪観音(にょいりんかんのん)像が祀られています 。浄土宗の寺院で如意輪観音を祀るのは珍しく、もともとは他宗派(真言宗)の影響も受けていた可能性があるとも言われます 。巡礼で訪れる参拝者は、この観音堂でご本尊の観音菩薩に手を合わせ、所願成就や縁結びなどを祈願します。
石段を登り切った先に立つ山門はシンプルな一間門ですが、その両脇と背後には高さ数メートルにも及ぶ石垣と白塗りの土塀が築かれています 。これらが城郭のような雰囲気を醸し出し、寺院ながら要塞のような独特の景観を形成しています。門をくぐると目前に箕面の街並みと山並みが開け、寺域が自然の中に守られていることを実感できるでしょう。石垣の上に配された瓦葺きの土塀も歴史を感じさせる見どころです。
境内奥に建つ入母屋造の鐘楼。大晦日にはこの梵鐘で除夜の鐘を撞く行事が行われます。法林寺の除夜の鐘は少しユニークで、毎年新年のカウントダウンを行った後、年明け直後から108つの鐘を撞き始めるのが慣例です 。108回で打ち止めとなるため、参加希望者は大晦日の夜11時頃から境内に並び、新年を迎えると次々と鐘を突く光景が見られます 。澄んだ夜空に響く鐘の音は荘厳で、地域の人々や観光客にも人気の年越しイベントとなっています。鐘楼の足元には小さなお地蔵様も祀られており、静かに境内を見守っています(訪れた人が安全に一年を過ごせるよう願われています)。
1562年
(永禄5年・戦国時代)
戦国時代の混乱期に、浄土宗の僧・峻誉上人によって開山。当時は織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦い(1560年)の直後にあたり、天下動乱の世の中であったが、浄土宗の布教の一環として当地に建立され、周辺の人々の信仰を集める寺院となった。
江戸時代
浄土宗知恩院派の末寺として、地域の檀信徒の菩提寺(先祖供養を行う寺)としての役割を果たし、代々寺院が維持・継承された。
近代~現代
明治以降も箕面の町のお寺として法要や地域行事を継続。昭和初期には北摂三十三観音霊場の札所(第30番)に加わる。第二次世界大戦の戦火も免れ、戦後は都市近郊の身近な寺院として親しまれる。昭和・平成期には、先代住職・加藤氏が地元中学校のサッカー部監督を務めた縁で、OBらが結成したシニアサッカーチームに「箕面ホーリン(法林寺)」と寺名が冠されるなど、ユニークな地域交流も生まれた。
現在
現在は他寺と兼務の住職・柴田氏と常駐の副住職・藤田氏によって運営。地域とのつながりを大切にしながら、春秋の彼岸法要、盂蘭盆会、施餓鬼供養などの法要や行事を行い、歴史と文化を次世代に伝えている。参拝者にとっては、箕面の自然と歴史に触れられる憩いの場であり、浄土の教えにふれる祈りの場として大切に守られている。