所在地 | 大阪府吹田市千里山東2-19-1 |
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TEL | 06-6389-4876 |
宗派 | 浄土宗 |
山号 | 護念山 |
創建 | 慶長4年(1599年) |
開基(創立者) | 宝誉了風上人 |
本尊 | 阿弥陀如来(厭求上人作) |
寺宝 | 涅槃図(天明期) |
札所 |
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第1番札所、 大阪三十三所観音巡り 第4番札所 |
法住寺は桃山時代末期の慶長4年(1599年)、宝誉了風上人によって創建されました。元和3年(1618年)には大阪・西寺町に伽藍を建立しましたが、天保5年(1835年)の天満の大火で焼失、天保8年(1838年)に再建されました。昭和20年(1945年)の大阪大空襲では再び堂宇を失い、戦後しばらくは旧地で仮復興が試みられましたが、最終的に昭和46年(1971年)に現在の吹田市千里山へ移転し、新本堂・庫裏・地蔵堂が建立されました。 都市中心部から郊外への移転により境内は広々と整備され、静かな環境の中で信仰を継承しています。
この寺院の特色として特に有名なのが「日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)」です。開山上人が霊夢のお告げにより難波の砂中から発見したと伝えられ、祈願の期限を定めると叶えてくださる「日限りの地蔵」として広く信仰を集めました。戦災で焼失しましたが、戦後に金戒光明寺より寄贈を受けた木造極彩色の等身大地蔵菩薩像が現在「ひぎりさん」として祀られています。
本尊の阿弥陀如来坐像は、江戸中期の名僧・厭求上人が刻んだと伝えられるもので、舟形光背を背負った等身大の阿弥陀仏です。空襲で両脇侍像は失われましたが、本尊は無事で、平成11年(1999年)に新たに観音・勢至菩薩像が補われました。平成22年(2010年)には、かつての「大坂三十三箇所観音巡り」札所にちなみ、約3メートルの石造聖観音菩薩立像が境内に建立され、供養塔を兼ねた新たな信仰の対象となっています。 また、寺宝として江戸時代・天明期の大涅槃図を所蔵しており、信仰芸術の歴史を今に伝えています。
法住寺は江戸時代より庶民の信仰を集め、かつて「大坂三十三箇所観音巡り」の第四番札所として知られ、現在は「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」の第一番札所を務めています。境内では正月の修正会、春彼岸の彼岸会、灌仏会(花祭り)、盂蘭盆施餓鬼会、十夜法要などが行われ、地域住民や参拝者も共に参加できる伝統行事を通して、法住寺の信仰と雰囲気を体感することができます。
1971年に再建された鉄筋コンクリート造の近代的な本堂で、寺院建築風の意匠が凝らされています。 内部には本尊・阿弥陀如来像が安置され、静かで荘厳な空間が広がります。旧本堂は大阪市内にありましたが、戦災で焼失し、現在の本堂は地域檀家の協力で再建されました。
本堂に隣接する瓦葺き屋根の小堂で、日限地蔵尊が安置されています。 「ひぎりさん」と親しまれる地蔵菩薩に、多くの参拝客が所願成就を祈り手を合わせます。
境内奥に立つ高さ約3メートルの聖観音菩薩立像。平成22年(2010年)に建立された比較的新しい像ですが、堂々とした風格があります。 台座部分は供養塔も兼ね、かつて観音霊場であった由緒を現在に伝えています。
境内の随所に石灯籠が配置され、雰囲気を和らげています。中にはハート型の透かし模様が施された珍しい灯籠もあり、参拝者の目を引きます。 灯籠は境内のアクセントとして静かな美を添えています。
境内入口に建つ山門は、コンクリート造の門柱に緑青色の屋根瓦を載せた造りです。 額には「護念山法住寺」と山号寺号が掲げられており、歴史的建造物ではないものの、境内への開放感を演出しています。
1599年
(慶長4年)
宝誉了風上人により法住寺が創建される。
1618年
(元和3年)
大坂西寺町(現・兎我野町)に伽藍を建立。
1835年
(天保5年)
天満の大火により堂宇を焼失。
1838年
(天保8年)
焼失した伽藍を再建。
1945年
(昭和20年)
大阪大空襲により伽藍を再度焼失。
1971年
(昭和46年)
大阪市内から吹田市千里山東の現在地へ移転。本堂・庫裏・地蔵堂を新築。
2010年
(平成22年)
境内に高さ10尺の石造聖観音菩薩像を建立。