| 所在地 | 大阪府大阪市住吉区清水丘1-28-5 |
|---|---|
| 電話 | 06-6673-3707 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
| 本尊 | 木造毘沙門天立像 |
| 創建 | 不詳(江戸時代初期頃に再興)/前身は榎津寺(奈良〜平安時代) |
| 文化財 | 木造毘沙門天立像(大阪市指定有形文化財)、石灯籠(重要美術品) |
大阪市住吉区清水丘に位置する永祥寺は、浄土真宗本願寺派に属する寺院です。創建年代は明らかではありませんが、この地一帯には奈良〜平安時代に「榎津寺(えなつでら)」という大寺院があり、その極楽院が永祥寺の前身と伝えられています。中世以来、住吉大社の神宮寺的な役割を果たし、神仏習合のもとで信仰を集めてきた歴史を持っています。
永祥寺に伝わる本尊は木造毘沙門天立像で、甲冑を身につけ戟(げき)と宝塔を持つ一本造りの古仏です。平安時代後期の作と推定され、信貴山の毘沙門天像と同じ木から作られたとの伝承が残されています。像高約85cmの堂々たる姿を示す尊像で、大阪市指定有形文化財に指定されています。
南北朝時代には楠木正成の父・正遠が榎津寺(極楽院)の毘沙門天に子宝を祈願し、正成が誕生したとの伝承があります。建武3年(1336年)、後醍醐天皇の住吉行幸に随行した楠木正成が毘沙門天への御礼として石灯籠を奉納したと伝えられており、この灯籠は昭和11年(1936年)に国の重要美術品に認定されています。
明治維新の神仏分離政策により住吉大社から独立し、浄土真宗本願寺派の寺院「永祥寺」として新たな歩みを始めています。現在は一般の拝観ができない非公開寺院となっていますが、秘仏の毘沙門天像や楠木正成奉納の石灯籠など、住吉の地に古くから伝わる貴重な文化財を守り続ける”住吉の隠れた古刹”として知られています。
永祥寺の本堂は境内の中心にあり、本尊である木造毘沙門天立像が安置されています。平安時代後期の作と推定される像高約85cmの一本造りの古仏で、甲冑を身につけ戟と宝塔を持つ堂々たる姿が特徴となっています。大阪市指定有形文化財に指定されている秘仏で、通常は非公開となっています。
建武3年(1336年)に楠木正成が毘沙門天への御礼として奉納したと伝えられる石灯籠が境内に現存しています。昭和11年(1936年)に国の重要美術品に認定されており、南北朝時代の歴史を今に伝える貴重な文化財となっています。
永祥寺の境内は住吉区の住宅街の中にひっそりと佇んでおり、奈良〜平安時代の榎津寺を前身とする長い歴史を感じさせる静かな空間となっています。非公開寺院のため外観のみの拝観となりますが、住吉の隠れた古刹としての風格が漂っています。
奈良〜平安時代
現在の住吉区遠里小野付近に榎津寺という大寺院が建立されています。七堂伽藍を有して栄えたと伝えられ、永祥寺の本尊である木造毘沙門天立像は、この榎津寺に安置されていた旧仏であると後世に伝承されています。
1336年
(建武3年)
楠木正成の父・正遠が榎津寺(極楽院)の毘沙門天に子宝を祈願し正成が誕生したとの伝承に基づき、後醍醐天皇の住吉行幸に随行した楠木正成が毘沙門天への御礼として石灯籠を奉納したと伝えられています。この灯籠は現在も境内に現存しています。
1626年頃
(寛永3年頃)
中世以降の戦乱で衰退していた寺院が、江戸時代初期の寛永年間に再興され、浄土宗の財宝山極楽寺として開かれています。榎津寺極楽院の後継寺院として地域に根づき、本尊の毘沙門天像も秘仏として祀られ受け継がれています。
江戸時代
江戸時代を通じて極楽寺は住吉大社の神宮寺的な役割を果たし、神仏習合のもとで信仰を集めています。秘仏の毘沙門天像と楠木正成奉納の石灯籠を守りながら、住吉の地域住民の信仰を支える寺院として栄えています。
1868年
(明治元年)
明治維新の神仏分離政策により住吉大社と付属寺院が分離され、極楽寺は住吉大社から独立しています。その後、浄土真宗本願寺派に転じて寺号を「永祥寺」と改め、旧来の毘沙門天信仰と門徒中心の教化活動を両立させる新たな歩みを始めています。
1936年
(昭和11年)
楠木正成奉納と伝わる石灯籠がその歴史的・美術的価値を認められ、国の重要美術品に認定されています。これにより永祥寺所蔵の文化財として公式に保護の対象となり、戦災や災害からの保全措置が図られています。
1945年
(昭和20年)
太平洋戦争末期の大阪大空襲では住吉地域も被害を受けていますが、永祥寺の毘沙門天像や石灯籠など主要な文化財は焼失を免れて守り通されています。戦後も都市開発が進む中、境内は往時の面影を残しつつ維持されています。
現在
(令和時代)
現在も永祥寺は住吉区清水丘の地に静かに佇み、大阪市指定有形文化財の木造毘沙門天立像と重要美術品の石灯籠を大切に守り伝えています。非公開寺院のため一般の拝観はできませんが、長い歴史を経た秘仏と伝承を守り伝える寺として住吉の文化的景観の一端を担い続けています。