| 所在地 | 大阪府大阪市北区天神橋8丁目4-19 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 山号 | 清光山 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 1948年(昭和23年) |
| 開基 | 渡島義顕(初代住職) |
| 電話 | 06-6351-2460 |
正蓮寺は、大阪市北区・天神橋筋商店街の北端近くに位置する浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院です。第二次世界大戦末期の大阪大空襲により当地一帯は壊滅的な被害を受け、多くの人々が家族や住まいを失いました。戦後の混乱期、地域住民の「心の拠り所がほしい」という強い願いによって、昭和23年(1948年)に正蓮寺が建立されました。
浄土真宗本願寺派に属する寺院として、宗祖・親鸞聖人の教えに基づく念仏の信仰を伝え、本尊に阿弥陀如来を安置しています。一般公開はされておらず観光目的の拝観はできませんが、地元門徒にとっては戦後直後から今日まで寄り添い続ける精神的支柱のような存在です。
創建の中心となったのは初代住職・渡島義顕師でした。渡島師は寺を地域の憩いの場として開放し、困難な時代に悩みを抱える人々の相談に応じるなど、戦後復興期の地域福祉に大きく貢献したと伝えられています。また、大阪市の要請を受けて幼い子どもたちを寺で預かったことが、後に1954年開園の附属「愛の恵幼稚園」創設へとつながりました。
さらに渡島師夫妻は、琵琶法師のように各地を巡って法話を行い、夫人・渡島正子は琵琶の弾き語りで仏教讃歌を披露するなど、ユニークで温かな伝道活動を行いました。こうした多彩な法縁づくりを通して、正蓮寺は戦後の大阪で人々の心を支え、教育と布教の両面で特色ある役割を果たしてきました。
正蓮寺の本堂と庫裏は一体化した2階建て程度の近代建築で、鉄筋コンクリート造とみられる堅牢な構造です。外観はビル風で遠目には寺院と分かりにくいものの、内部には阿弥陀如来をご本尊とする荘厳な本堂空間が整えられています。
山門にあたる入口は簡素で、商店街の一角に自然に馴染んでいます。伝統的伽藍のような広大な境内はないものの、都市部の限られた敷地を活かした機能的な寺院配置となっています。
境内には附属の「愛の恵幼稚園」の園舎が隣接しており、日中には子どもたちの声が響く活気ある雰囲気に包まれています。寺院と教育施設が共存する、地域に根ざした独自の境内空間が形成されています。
本堂とは別に、長柄橋南詰には「明倫観世音菩薩像」が建立されています。毎年6月7日にはこの観音像の前で戦災殉難者慰霊法要が営まれ、戦後から今日まで続く地域行事として、亡くなられた方々への追悼と平和への祈りが捧げられています。
1945年
(昭和20年)
6月7日の大阪大空襲により天神橋付近一帯が焼失し、長柄橋の下で避難していた約400名(主に女性と子ども)が犠牲となる。終戦後、遺族により長柄橋南詰東側に慰霊の観音菩薩像(明倫観音像)が建立された。
1948年
(昭和23年)
戦災復興期に地域住民の強い要望を受け、浄土真宗本願寺派の寺院「正蓮寺」が現在地に創建。初代住職は渡島義顕。戦後まもない時期から地域の精神的支柱として機能し始める。
1954年
(昭和29年)
戦後の託児活動を基盤に、大阪市の依頼を受け幼稚園「愛の恵幼稚園」が開園。地域の子どもたちの教育に寄与し、寺院の社会的役割が広がる。
以降
毎年6月7日には長柄橋明倫観音像前で慰霊法要(川施餓鬼法要)を開催。報恩講や彼岸会など浄土真宗の法要や門徒教化活動を続けながら、本堂と庫裏の維持補修を行い、都市型寺院として現在も地域に根ざす活動を続けている。