所在地 | 大阪府吹田市南高浜町25-9 |
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TEL | 06-6383-3206 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
山号 | 恵日山(えにちざん) |
創建 | 天文10年(1542年) |
主要寺宝・文化財等 | 天神境内石碑(大阪夏の陣ゆかりの石碑) |
url | https://suita-shofukuji.com |
正福寺は戦国時代の天文10年(1542年)に創建された浄土真宗本願寺派の寺院で、江戸時代から明治にかけて吹田村一帯の門徒によって支えられてきました。 特に慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際には、大阪天満宮の神輿が戦火を避けて当地の門徒であった橋本清太夫の屋敷に避難したと伝えられており、それを記念する「天神境内」と刻まれた石碑が境内に残されています。 この石碑は元々橋本家の敷地内にあったものとされ、現在も当時の出来事を後世に伝える貴重な歴史遺産となっています。
正福寺はその後も地域の人々の信仰の拠り所として代々受け継がれ、現在の住職で第19世の春日竜樹師へと至ります。 昭和後期(1980年代)には老朽化した本堂や境内の建物を一新し、鉄筋コンクリート造の近代的な本堂へと建て替えられました。 伝統的なお寺のイメージを一変させるその現代的なデザインは当時メディアにも紹介され、地域でも話題となりました。 以降、正福寺は歴史ある寺院でありながら現代的で開かれた雰囲気を持つ寺院として知られています。 毎年の報恩講やお盆法要、新年の除夜の鐘などの年中行事も続けられており、古くからの伝統を守りつつ新しい試みにも積極的に取り組んでいます。
正福寺の本堂内部は、伝統的な仏堂の意匠と現代的デザインが融合した独特の空間です。 金色に輝く円形の祭壇はまるで宇宙船のコクピットのようにも見え、訪れる人を驚かせます。 中央には本尊・阿弥陀如来が安置され、照明や装飾が周囲を囲むように配置されています。 内部は明るく開放的で、椅子席やバリアフリーにも配慮されており、法要や行事の際には多くの参詣者が快適に過ごせます。
本堂正面入口脇に立つ親鸞聖人像は、正福寺が浄土真宗寺院であることを象徴しています。 人の背丈ほどの石像で、柔和な表情で合掌する姿は訪れる人に安心感を与えます。 昭和の本堂改築時に建立されたとされ、モダンな建物と伝統的な宗祖像が調和する光景は強い印象を残します。 足元に季節の花が供えられることもあり、地域の人々の信仰の厚さが伝わります。
境内には「天神境内」と刻まれた石碑があり、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際に大阪天満宮の神輿が当地に避難した出来事を伝えています。 阿波産の石で作られ、表面には「天神境内 文化元年(1804年)」と刻まれています。 元は橋本家の敷地にあったものが移されたとされ、江戸時代の歴史を今に伝える貴重な史跡です。 本堂左手前方に佇むこの石碑は、訪れる際に見逃せない見どころです。
正福寺の梵鐘は伝統的な鐘楼堂ではなく、本堂テラス部分に吊るされています。 大晦日には除夜の鐘が撞かれ、108つの煩悩を祓う音が近隣に響き渡ります。 ガラス張りの壁越しに見える鐘の姿は幻想的で、年末年始の風物詩として地域に親しまれています。 普段は外から見ることができますが、撞けるのは行事の際に限られるため、訪れるなら年末年始がおすすめです。
1542年
(天文10年)
恵日山正福寺が創建。浄土真宗本願寺派の寺院として開基される。
1615年
(慶長20年)
大坂夏の陣の際、大阪天満宮の神輿が戦火を避けて吹田村の門徒・橋本清太夫邸に避難。後に正福寺境内に「天神境内」石碑が建立された。
1804年
(文化元年)
「天神境内」石碑が建立された年号。碑文には文化元年の刻印があり、江戸後期に史跡として整備された。
1980年代
(昭和後期)
老朽化した本堂の全面改築が行われ、鉄筋コンクリート造の近代的デザイン本堂が落成。メディアでも紹介され話題となる。
現代
(平成~令和期)
第19世住職・春日竜樹師のもと、報恩講や彼岸会、盆法要、除夜の鐘など伝統行事を継続。永代供養墓の整備や公式ウェブサイト開設(令和7年予定)など現代的活動も行われている。