| 所在地 | 大阪府大阪市北区中崎西1丁目6-23 |
|---|---|
| 山号 | 光寿山(こうじゅさん) |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 1940年(昭和15年) |
| 電話 | 06-6371-7867 |
正宣寺(しょうせんじ)は、大阪市北区中崎町の路地裏にひっそりと佇む浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。長屋が多く残る下町情緒あふれるエリアに位置し、街の小さな聞法道場として地域に溶け込んだ活動を続けています。一般拝観は受け付けておらず、主に門信徒や地域住民を対象とした法要・講座が中心となっています。
その歴史は比較的新しく、大阪市北区における浄土真宗本願寺派寺院の中ではもっとも新しい創建例の一つです。正宣寺の起源は1940年(昭和15年)、大阪市北区万歳町に開設された宗教結社「北野布教所」にさかのぼります。当初はあくまで布教所として活動していましたが、太平洋戦争末期の大阪大空襲により万歳町一帯が被災したため、1945年(昭和20年)に現在地である葉村町(中崎町)へ移転しました。
戦後も長らく布教所として法要や教化活動が続けられ、1987年(昭和62年)に宗教法人「正宣寺」として正式に寺号が公称されました。翌1988年(昭和63年)には本堂が新築落成し、戦後の開創から約40年を経て寺院として新たな歩みを始めています。
正宣寺は浄土真宗本願寺派に属し、宗祖・親鸞聖人の教えに基づいた念仏信仰を伝える道場です。本尊は阿弥陀如来であり、法灯は本山・龍谷山本願寺(西本願寺)から派遣される住職によって継承されてきました。開創以来、報恩講や永代経など浄土真宗の年中行事を欠かすことなく勤修し、門信徒に寄り添いながら教化活動を続けています。
戦災復興期の中崎町の町並みに溶け込みながら、都市の中の小規模寺院として静かに存在し続ける正宣寺。一般公開こそされていないものの、地域の信仰と暮らしに寄り添う場として、今も変わらず念仏の灯火を守り続けています。
正宣寺の本堂は1988年(昭和63年)に新築された鉄筋コンクリート造の建物で、都市型寺院として効率的な構造を採用しています。外観はシンプルながらも寺院らしい意匠が取り入れられ、寺号を掲げた看板と玄関が正面に設けられています。
専用の山門は設けられておらず、建物入口がそのまま寺院の表玄関となっています。限られた境内地の中で、都市型寺院として合理的な設計がなされています。
本堂内部には阿弥陀如来を安置した内陣が配され、法要時には参拝者が集う広間となります。限られた空間を最大限活用し、満堂にも対応できる設計が施されています。
庫裏(住職の居住・事務空間)は本堂と一体化した構造で、境内に独立した伽藍は存在しません。小規模ながらも機能性を重視した現代的寺院として整備されています。
建立からまだ年月が浅く、建造物そのものに文化財指定はありませんが、現代の都市環境に適応した寺院建築として地域の聞法の場を支えています。
1940年
(昭和15年) 4月
大阪市北区万歳町に宗教結社「北野布教所」を開設。正宣寺の前身となり、地域の念仏道場として活動を始める。
1945年
(昭和20年) 6月
大阪大空襲により万歳町周辺が被災したため、大阪市北区葉村町(現・中崎西)へ移転。戦後も布教所として教化活動を継続した。
1987年
(昭和62年) 10月
正式に寺号を公称し、宗教法人「正宣寺」を設立。初代住職に大野正英師が就任し、寺院としての歩みを本格化させる。
1988年
(昭和63年) 9月
現在の鉄筋コンクリート造の本堂が落成。「正宣寺」として再興し、境内整備が進む節目の年となる。
1988年
(昭和63年) 11月
正宣寺として初めて報恩講法要を勤修。念仏道場としての活動がさらに強化される。
1989年
(平成元年) 5月
永代経法要を定例行事として開始し、年中行事の充実が図られる。
1994年
(平成6年) 3月
寺報を創刊し、門信徒向けの情報発信を強化。春季・秋季彼岸会の勤修もこの頃に開始される。
1999年
(平成11年) 4月
正宣寺として公式ウェブサイトを開設。寺院の活動や法座案内を広く公開するようになる。
2009年
(平成21年) 4月
阿弥陀如来の教えを学ぶ場として常例法座を開講。現在の「正信偈講座」へと続く学びの場が整う。
2009年
(平成21年) 11月
第2代住職として大野孝顕師が就任。新たな寺門運営が始まり、現代の正宣寺の基盤が形づくられていく。