| 寺院名 | 聖水山 正光寺(しょうこうじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西淀川区福町2丁目17-3 |
| 山号 | 聖水山 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 文禄年間(1592~1596年)頃 |
正光寺は、大阪市西淀川区福町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の寺院で、山号を「聖水山」と称します。伝承によれば、安土桃山時代の文禄年間(1590年代)頃、浄土真宗の僧侶によって当地に念仏道場が開かれたのが起源とされ、約400年以上の歴史を有する古刹です。開創当初は、大阪石山本願寺の系譜を継ぐ准如上人(一族第12世)の布教活動の一環として建立された寺院と考えられ、戦国期から江戸時代にかけて地域の門徒たちの拠り所として発展しました。江戸時代には寺領も安定し、本堂の建替えや修復が幾度か行われたと推定されます。明治維新期の廃仏毀釈に際しても存続が許され、近代以降は宗教法人として地域に根ざした信仰活動を続けてきました。第二次世界大戦後も周辺の都市化の中で寺院としての機能を保ち、現在に至っています。
正光寺は浄土真宗の寺院であるため、本尊には阿弥陀如来像が安置されています。浄土真宗では阿弥陀如来が極楽浄土への導き手とされ、本寺においても門徒の信仰の中心となっています。また本堂内陣には、浄土真宗の開祖・親鸞聖人や中興の祖・蓮如上人の御影をはじめ、歴代高僧の画像が祀られています。これらの寺宝は公式な文化財指定こそありませんが、正光寺が浄土真宗の教えと伝統を脈々と受け継いできたことを示す貴重な遺産です。さらに、寺院に伝わる古文書や什物の中には、親鸞聖人直筆と伝わる書画や中世以来の念仏札など、史料的価値の高い品が含まれている可能性も指摘されていますが、現時点では公的な調査や指定は行われていません。
正光寺の本堂は、山門を入って正面に建つ木造平屋建ての仏堂です。近代以降に改修された建物で、阿弥陀如来をご本尊とする浄土真宗寺院の礼拝空間が整えられています。瓦葺き屋根の下には浄土真宗本願寺派の寺紋である下り藤紋が掲げられ、質素ながらも落ち着いた佇まいを見せています。
山門は薬医門風の簡素な造りで、市街地寺院らしい控えめな規模です。高い塀や柵によって境内は囲われており、門越しに本堂正面や庭の一部をうかがうことができます。常時閉鎖ではないものの、一般参拝は想定されておらず、外観から静かに寺観を感じ取る形となっています。
本堂玄関脇には「浄土真宗本願寺派 正光寺」と記された寺号標が据えられています。また、入口付近には掲示板が設置され、大阪本願寺(北御堂)発行の「Kitamidoだより」や「本願寺新報」などが掲示されており、現在も本願寺派寺院として活動が続いていることがうかがえます。
境内には庫裡や寺務所が併設されており、近代的な住宅風の建物として整えられています。都市部の小規模寺院として、生活空間と寺務機能が一体となった実用的な構成となっています。
正光寺には「聖水会館」と呼ばれる集会施設が近隣に設けられており、法事や地域の集まりなどに利用されています。寺院伽藍そのものは簡素ですが、こうした付属施設によって門徒や地域とのつながりが保たれています。
1592~1596年
(文禄年間)
安土桃山時代の文禄年間、浄土真宗の僧(本願寺門徒)によって正光寺が開かれたと伝えられています。豊臣秀吉治世の末期にあたり、地域に念仏道場が成立しました。
江戸時代
(17~19世紀)
江戸時代を通じて、正光寺は地域の浄土真宗道場として存続しました。寺領の安定とともに本堂の改築や堂宇修理が行われ、門徒による法要や寄合が定期的に営まれ、檀信徒組織が確立したと考えられます。
1872年
(明治5年)
明治期の廃仏毀釈を乗り越え、近代政府の宗教政策のもとで寺院として存続しました。この頃、「西淀川組正光寺」として教区再編が行われた可能性がありますが、浄土真宗本願寺派に属し続けました。
1945年以降
(昭和戦後期)
第二次世界大戦後の復興期を経て、周辺地域の工業地帯化・都市化が進む中でも寺院機能を維持し、都市寺院として地域社会との関わりを続けました。
平成~令和
現在も地域門徒のための布教・儀礼の場として活動を続けています。定例法要や報恩講などが営まれている一方、一般公開は行われておらず外観見学のみ可能です。近年はバリアフリー化や設備改善にも取り組み、地域に寄り添う寺院として存続しています。