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極楽寺ごくらくじ

大阪府大阪市住吉区にある、楠木正成ゆかりの浄土宗寺院。国指定重要文化財の石灯籠と平安期の毘沙門天像を伝える古刹

所在地 大阪府大阪市住吉区遠里小野5丁目11-2
電話 06-6693-0325
宗派 浄土宗
山号 財宝山
本尊 毘沙門天立像
創建 不詳(前身は古代寺院・榎津寺の極楽院)
文化財 石灯籠(建武3年銘・国指定重要文化財)/木造毘沙門天立像(大阪市指定有形文化財)

古代寺院・榎津寺の極楽院を前身とし、楠木正成が奉納した建武3年銘の石灯籠と
平安時代後期作の木造毘沙門天立像を今に伝える歴史ある寺院

大阪市住吉区遠里小野に位置する極楽寺は、浄土宗に属する寺院で、山号を財宝山と称しています。創建年代は明らかではありませんが、奈良〜平安時代に当地にあった古代寺院「榎津寺(えなつでら)」の極楽院を前身とするともいわれています。本尊の毘沙門天像は信貴山の毘沙門天と同じ材で造られたとの伝承があり、古来より武将や庶民の信仰を集めてきています。

本尊の木造毘沙門天立像は像高約85センチメートルの堂々たる立像で、鎧を着け宝塔と戟を持つ威厳ある姿をしています。製作年代は平安時代後期(藤原時代)と考えられており、大阪市指定有形文化財に指定されています。浄土宗寺院でありながら毘沙門天を本尊とするのは珍しく、前身の榎津寺時代からの信仰を引き継いでいるものと考えられています。

中世の武将・楠木正成ゆかりの寺としても広く知られており、正成の父がこの寺で子授けを祈願し正成が生まれたという故事が伝わっています。その話を聞いた楠木正成は、後醍醐天皇が住吉大社へ行幸した際に当寺に立ち寄り、自ら年号と名を刻んだ石灯籠を奉納したと伝えられています。境内の石灯籠には建武3年(1336年)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。

境内には楠木正成がお手植えしたといわれるクスノキの古木も残されており、寺の歴史を静かに物語っています。現在は一般参拝不可の非公開寺院ですが、国指定重要文化財の石灯籠と大阪市指定有形文化財の木造毘沙門天立像を有する文化財的価値の高い寺院として、その存在自体が地域の歴史と文化を伝えています。

  • 本堂

    極楽寺の本堂は寺院の中心となる御堂で、本尊の木造毘沙門天立像が安置されています。像高約85センチメートルの平安時代後期作の堂々たる立像で、鎧を着け宝塔と戟を持つ威厳ある姿は大阪市指定有形文化財に指定されています。浄土宗寺院でありながら毘沙門天を本尊とする珍しい寺院です。

  • 石灯籠(国指定重要文化財)

    境内に安置されている石灯籠には建武3年(1336年)の銘が刻まれており、楠木正成が自ら年号と名を刻んで奉納したと伝えられています。南北朝時代の貴重な石造美術品として国の重要文化財に指定されており、極楽寺の最も重要な文化遺産の一つとなっています。

  • 楠木正成お手植えのクスノキ

    境内には楠木正成がお手植えしたといわれるクスノキの古木が残されています。正成の父がこの寺で子授けを祈願し正成が生まれたという故事とともに、数百年の歳月を経て今もなお枝を広げるクスノキは、極楽寺と楠木正成との深い縁を物語る象徴的な存在となっています。

極楽寺のあゆみ

  • 奈良〜平安時代

    古代寺院・榎津寺の極楽院として成立

    極楽寺の前身は、奈良〜平安時代に遠里小野の地にあった古代寺院「榎津寺」の極楽院であったと伝えられています。榎津寺は当時この地域の有力な寺院であったとされ、極楽院はその一堂として信仰を集めています。

  • 平安時代後期
    (藤原時代)

    木造毘沙門天立像の造立

    現在の本尊である木造毘沙門天立像が造立されています。像高約85センチメートルの寄木造で、鎧を着け宝塔と戟を持つ威厳ある姿を呈しています。信貴山の毘沙門天と同じ材で造られたとの伝承があり、平安時代後期の彫刻技法を今に伝える貴重な作例となっています。

  • 1336年
    (建武3年)

    楠木正成が石灯籠を奉納

    南北朝時代の武将・楠木正成が極楽寺に石灯籠を奉納しています。正成の父がこの寺で子授けを祈願し正成が生まれたという故事に基づき、後醍醐天皇の住吉大社行幸の折に立ち寄り、自ら年号と名を刻んだ灯籠を奉納したと伝えられています。この石灯籠は国の重要文化財に指定されています。

  • 室町〜戦国時代

    戦乱の時代を経て寺院が存続

    室町時代から戦国時代にかけての戦乱の時代を経ていますが、極楽寺は楠木正成ゆかりの寺として地域の人々の信仰に支えられ存続しています。石灯籠や本尊の毘沙門天立像など貴重な寺宝が守り伝えられています。

  • 江戸時代

    浄土宗寺院として寺格を整備

    江戸時代に入ると極楽寺は浄土宗の寺院として正式に寺格を整え、遠里小野の地域住民の菩提寺として機能しています。遠里小野は菜種油の生産で栄えた地域であり、極楽寺も繁栄する地域経済に支えられて寺運が安定しています。

  • 1868年
    (明治元年)

    明治維新と文化財保護の始まり

    明治維新後、近代的な文化財保護の取り組みが始まり、極楽寺の石灯籠や木造毘沙門天立像の歴史的・美術的価値が注目されるようになっています。楠木正成は明治政府により忠臣として顕彰されており、正成ゆかりの極楽寺も注目を集めています。

  • 1945年
    (昭和20年)

    太平洋戦争の戦禍と寺宝の存続

    太平洋戦争末期の大阪大空襲では市内各地に被害が及んでいますが、極楽寺の重要文化財の石灯籠や木造毘沙門天立像は守り抜かれています。戦後も寺院として存続し、貴重な文化遺産の護持が続けられています。

  • 昭和〜平成時代

    文化財の指定と保存

    建武3年銘の石灯籠が国の重要文化財に、木造毘沙門天立像が大阪市指定有形文化財にそれぞれ指定されています。文化財としての適切な保存管理が行われ、極楽寺の歴史的・文化的価値が公的に認められています。

  • 現在
    (令和時代)

    楠木正成の伝説と平安の古仏を守り伝える古刹として

    現在も極楽寺は遠里小野の地に静かに佇み、国指定重要文化財の石灯籠と大阪市指定有形文化財の木造毘沙門天立像を護持しています。一般非公開の寺院ですが、楠木正成ゆかりの伝承と平安時代の古仏を今に伝える存在として、その歴史的・文化的価値は特筆に値しています。

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