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根本寺こんぽんじ

昭和初期に開かれた、法華経の教えを伝える日蓮宗寺院

所在地 大阪府豊中市岡町北3-5-25
宗派 日蓮宗
山号 豊中山(ほうちゅうざん)
本尊 久遠実成の本師釈迦牟尼仏(久遠実成本師釈迦牟尼仏) ※法華経における永遠の仏である釈迦如来
創建年 昭和10年(1935年)
中興年 昭和41年(1966年、公称「豊中山根本寺」として再興)

現代に甦る法華の道場 ― 豊中山 根本寺

大阪府豊中市岡町の住宅街に佇む豊中山 根本寺は、昭和時代に創建された日蓮宗の寺院です。 歴史こそ浅いものの、法華経の教えを中心に地域社会とともに歩み、多くの人々の心の拠り所となってきました。 開創以来、檀信徒だけでなく誰でも参拝できる開かれたお寺として、 現代における「法華の道場」としての役割を果たしています。

  • 本堂と内陣の諸尊

    根本寺の本堂は昭和59年(1984年)に建立された鉄筋コンクリート造の近代的な建物です。 内部には椅子席が備えられ、どなたでも参拝しやすい設計になっています。 本堂内陣には、釈尊説法像(説法する釈迦如来像)を中心に、日蓮大聖人像、 そして開基・通教院日光上人(初代住職・日泰上人の尊父)の像が安置されています。 これらの諸尊は、本尊・久遠実成の釈迦牟尼仏の教えを象徴し、寺院信仰の中心を成しています。

  • 守護神堂

    本堂の脇にある守護神堂には、北辰妙見菩薩・大黒天・鬼子母神の三尊が祀られています。 妙見菩薩は北極星の化身として開運・方位除けの守護神、大黒天は豊穣と財福、 鬼子母神は安産・子育ての守護として篤く信仰されています。 いずれも日蓮宗の信仰において重要な守護尊であり、檀信徒の願いを受け留める存在です。

  • 境内の石庭と草花

    境内はこぢんまりとしていますが、石造の手水鉢や小さな石塔婆が配され、四季折々の草花が彩りを添えています。 初夏には蓮の鉢が美しい花を咲かせ、紫陽花や菖蒲なども季節を知らせてくれます。 近代的な本堂と自然が調和した静かな佇まいは「心が洗われる」と評判で、 参拝者に癒しと安らぎを与える空間です。

  • 静寂と祈りの空間

    鐘楼などの伝統的建築はありませんが、読経の声が静かな境内に響き、 近隣に暮らす人々の心を穏やかに包み込みます。 小規模ながら、整えられた石庭や植栽が調和し、現代都市の中で心安らぐ法華の道場として親しまれています。

  • 所蔵文化財と寺宝

    根本寺は昭和期に創建された比較的新しい寺院であり、国・府・市指定の文化財はありません。 しかし、本堂に安置される釈迦如来像や日蓮聖人像、守護神堂の三尊像はいずれも現代彫刻ながら信仰上重要な尊像です。 また、歴代住職の墓碑や寺号を記した扁額など、境内の諸施設にも寺の歩みを伝える文化的価値が息づいています。 都市型の小寺院ながら、地域信仰と歴史の継承という点で貴重な存在といえます。

根本寺のあゆみ

  • 1935年(昭和10年)

    日泰上人による開創

    開山は日蓮宗の僧・根本院日泰上人。 20年にわたる関西各地での布教活動の末、「一寺建立」の悲願を果たすべく豊中市岡町に布教拠点を確立し、 「日蓮宗根本道場」を開創。 深い法華経信仰を持つ尊父・通教院日光法師の尊像を刻み、これを当山の開基とした。

  • 1940年代(戦中〜戦後)

    戦乱による荒廃

    戦時下の混乱により寺勢が衰退。檀信徒の離散や堂宇の荒廃に見舞われ、一時期存続が危ぶまれる。 それでも一部の信徒らが信仰を絶やさず、再興への道を繋いだ。

  • 1966年(昭和41年)

    寺号「豊中山根本寺」として再興

    第二世住職・龍泉院日遒上人が荒廃していた堂宇を復興。 寺号を正式に「豊中山根本寺」と定め、法華経の道場として再興。 この年をもって根本寺は正式な日蓮宗寺院として新たな歩みを始めた。

  • 1984年(昭和59年)

    新本堂と庫裡の落成

    第三世住職・龍妙院日真法尼により、新本堂と庫裡が完成。 鉄筋コンクリート造の近代的な堂宇に建て替えられ、寺観が一新された。 日真法尼は慈悲深く信徒の教化と寺院の護持に尽力し、100歳で遷化するまで寺を導いた。

  • 平成〜現在

    現代の発展と信仰の継承

    第四世現住職の代に入り、境内の拡張・駐車場や集会所の整備が進む。 位牌堂・納骨壇・合祀墓も新設され、環境がより充実。 僧俗一体となって法華経のお題目信仰を守り続け、現代においても地域の信仰の拠り所として発展している。

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