所在地 | 大阪府箕面市粟生間谷東5-21-1 |
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宗派 | 日蓮本宗 |
本尊 | 十界大曼荼羅 |
bbb本成寺は日蓮宗系仏教の流れを汲む寺院で、その創建は江戸時代にまで遡ると伝えられている。古くから当地の法華信仰の拠点として庶民に支えられてきた。寺院の中心である本堂は伝統的な入母屋造瓦葺きの木造建築で、往時の趣きを今に伝えている。内部には日蓮宗の象徴である「十界大曼荼羅」と呼ばれる曼荼羅本尊が安置され、これを拝むことで仏教の世界観である十界(一切の衆生の十種の境地)への思索を深めることができる。境内は静寂で落ち着いた雰囲気に満ち、春には美しい桜花、秋には紅葉が彩りを添え、訪れる人々の目を楽しませている。
寺の本堂は木造瓦葺きの堂宇で、正面に軒唐破風(のきからはふ)をいただく端正な佇まいを見せている。内部には前述の曼荼羅本尊とともに、宗祖・日蓮聖人の木像も安置されている。荘重な内陣では法要の際に読経の声が響き、長年にわたり地域住民の祈りの場として機能している。
境内には小ぶりながら趣のある鐘楼があり、青銅製の梵鐘が吊るされている。毎年大晦日には除夜の鐘を撞く行事が行われ、一年の厄を払い新年の無事を祈る伝統が守られている。静かな境内に響く鐘の音は風情があり、近隣にも新年の訪れを告げる。
本成寺の境内は草木が丁寧に手入れされ、小さな庭園風の空間を形成している。特に春には枝垂れ桜が参道脇に一本、美しい花を咲かせることで知られ、その姿は「境内の桜も綺麗でしたが、参道に1本だけ咲いている枝垂れ桜がとても…」と訪れた人が語るほど印象的です。初夏には新緑、秋には紅葉と、四季折々の景観が楽しめ、寺の静謐な雰囲気と相まって訪れる人の心を和ませてくれます。
江戸時代中期頃
詳しい年代は不詳だが、江戸時代中頃に当地の法華宗信徒によって創建されたと伝えられる。以後、近隣の人々の信仰道場として寺運が培われる。
1868年
(明治元年)
神仏分離令に代表される廃仏毀釈の荒波の中で、当寺も一時危機に直面したと伝えられる。しかし、檀家や地域住民の尽力により寺院は護持され、廃絶を免れた。以降も地域に密着し、信仰の灯を守り続ける。
1950年
(昭和25年)
第二次大戦後の宗教界再編に伴い、本成寺は京都の要法寺を本山とする日蓮本宗の一員となる。それ以前は日蓮宗(興門派)に属していたが、この年、要法寺と末寺約50ヶ寺が日蓮宗から独立して日蓮本宗を公称し現在に至っている。以後、本成寺も日蓮本宗の寺院として布教と教化に努めている。
1980年代
(昭和後期)
老朽化した本堂や諸施設の修復工事が行われる。檀信徒からの寄進と協力により屋根瓦の葺き替えや柱梁の補修が実施され、創建当時から受け継ぐ伝統的建築の維持と耐久性向上が図られた。これにより、貴重な伽藍が次世代へと受け継がれる基盤が整えられた。