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本傳寺ほんでんじ

文禄年間に創建され、妙見信仰と幕末ゆかりの史跡を伝える兎我野町の日蓮宗古刹

正式名称 高照山 本傳寺(こうしょうざん ほんでんじ)
所在地 大阪府大阪市北区兎我野町14-3
宗派 日蓮宗(総本山:身延山久遠寺)
山号 高照山(こうしょうざん)
創建 文禄年間(1592〜1596年)
開基 佛乘院日政上人(ぶつじょういん にちまさ)
※日蓮宗大本山本圀寺第16世・究境院日禛上人の弟子
本尊 曼荼羅ご本尊(南無妙法蓮華経)

文禄創建の歴史を受け継ぎ、妙見信仰と幕末ゆかりの史跡を今に伝える日蓮宗寺院・本傳寺

本傳寺(ほんでんじ)は、大阪市北区兎我野町に位置する日蓮宗の古刹で、安土桃山時代末期の文禄年間(1592〜1596年)に 佛乘院日政上人によって開創されたと伝えられます。京都・本圀寺の僧により開かれた由緒ある寺院で、江戸時代を通じて信仰の場として 地域に根づきました。長い歴史の中で堂宇は度重なる火災で焼失し、元禄・文化・天保年間と再建が繰り返されましたが、江戸から近代に至る 各時代の住職や檀信徒の尽力によって法灯が絶えることなく継承されてきました。

明治維新後も寺勢は続きますが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲では経蔵を除く伽藍をほぼすべて失う壊滅的被害を受けました。 戦後は第21世・行妙院日学上人により復興が進められ、昭和57年(1982年)頃には日蓮大聖人七百遠忌事業として本堂が近代的に改築されました。 さらに平成7年(1995年)の阪神淡路大震災では墓碑の倒壊など境内に大きな被害が生じましたが、開創四百年の節目を迎えた 第23世・順延院日豪上人のもとで堂宇の増改築や墓地の区画整理が進み、現在の本傳寺の姿が整えられています。

文化財の面でも本傳寺は注目される寺院です。境内には新選組で知られる「谷三兄弟」 (谷三十郎・谷万太郎・谷昌武)の墓所があり、幕末期の志士ゆかりの地として全国から参拝者が訪れます。 また、華道未生流の祖・未生斎一甫の墓所があり、流派にとっての聖地として供花が絶えることがありません。 かつては兜跋毘沙門天立像という貴重な仏像も所蔵していました(現存像は隣接寺院・妙香院に伝来)。 現在の本堂には日蓮聖人像を中心に北辰妙見大菩薩・鬼子母神など日蓮宗の守護尊が祀られ、内陣には釈迦の御真骨 (仏舎利)を奉安した宝塔も安置されています。いずれも非公開ながら、本傳寺の信仰の中心として大切に護持されています。

  • 新選組ゆかりの谷三兄弟の墓

    本傳寺最大の見どころは、幕末に新選組として活躍した谷三兄弟(谷三十郎・谷万太郎・谷昌武/近藤周平)の墓所です。 三基の墓碑は境内奥にまとまって並び、兄弟それぞれの名が刻まれています。長兄三十郎は七番隊組長・槍術師範役を務め、 万太郎は大坂屯所の長、末弟昌武は近藤勇の養子となった人物として知られます。 歴史愛好家や新選組ファンにとって、京都や会津以外で隊士の墓所を訪ねられる貴重な史跡であり、 墓前には静かに手を合わせ往時に思いを馳せる参拝者が多く訪れます。

  • 未生流初代・未生斎一甫の供養塔

    本傳寺境内には、日本の華道の一派「未生流」の開祖・未生斎一甫(みしょうさい いっぽ)の供養塔が建立されています。 一甫は江戸後期の華道家で、生け花に革新をもたらした人物。境内には一甫の墓とあわせて、 歴代家元を合祀した「未生流開祖之塔」が建ち、華道関係者が今も供花に訪れます。 都会の中で文化芸術の歴史を感じられる、本傳寺ならではの見どころです。

  • 都会のオアシスとしての境内環境

    梅田・兎我野町に広がる本傳寺の境内は、周囲のビル群から一歩入ると別世界の静けさが広がります。 山門は邸宅の門のように洒落た造りで、紫の寺紋入り幕が掛かることもあります。石畳の参道沿いには植栽が整い、 桜の季節には塀越しに花が咲き誇ります。奥に見える本堂は昭和後期に再建された鉄筋コンクリート造の二階建てで、 一階が寺務所、二階が本堂という都市型寺院ならではの構造です。 境内には水子供養の地蔵尊、歴代住職の墓所、布袋尊像、秋に実をつける鬼子母神の象徴・ザクロの木なども配置されており、 参拝者の目を楽しませます。

  • 参拝と内部拝観について

    本傳寺の堂内(本堂内部)は通常非公開で、外からの拝礼が基本となります。特別行事の際には内部拝観や 御首題(御朱印)が授与される場合もありますが、参拝の際は山門付近から静かに手を合わせるか、 必要に応じて寺務所へ事前問い合わせを行ってください。門前からでも境内の雰囲気や静謐な空気を十分に味わえるため、 大阪の寺町散策の途中に立ち寄るには格好のスポットです。

本傳寺のあゆみ

  • 1592〜1596年
    (文禄年間)

    佛乘院日政上人により本傳寺開創

    安土桃山時代末期、日蓮宗の僧・佛乘院日政上人が現在地に開山。兎我野町の古刹として歴史が始まる。

  • 1688〜1704年
    (元禄年間)

    第3世・日威上人の代、本堂を再建

    火災による堂宇焼失後、日威上人が本堂再建を実施。寺勢の基盤を再び整えた。

  • 1804〜1818年
    (文化年間)

    第13世・日専上人が本堂を再建

    度重なる火災で堂宇が焼失したため、文化年間に再建が行われる。再び寺観が整えられた重要な時期。

  • 1830〜1844年
    (天保年間)

    第16世・日道上人が本堂を再建

    再び火災被害を受けた堂宇を日道上人が復興。江戸末期における再整備が進む。

  • 1945年
    (昭和20年)

    大阪大空襲で本堂以下堂宇が全焼

    経蔵のみが残り、その他の伽藍は壊滅的被害を受ける。戦後復興の必要に迫られる重大な転機となった。

  • 1940年代後半〜

    第21世・行妙院日学上人による戦後復興

    焼失した伽藍の復興が進められ、仮本堂の建立など寺院再建が段階的に進行。寺勢が徐々に回復した。

  • 1982年頃
    (昭和57年)

    日蓮聖人700遠忌記念事業として本堂を近代的に改築

    第22世・瑞妙院日顯上人の代に本堂をはじめ境内伽藍が近代的に再整備され、現在の寺観の基礎が形づくられた。

  • 1995年
    (平成7年)

    阪神・淡路大震災被害と開創400年記念事業

    境内墓地などに大きな被害が発生。第23世・順延院日豪上人により本堂増築・墓地整備が行われ、400年の節目に寺観が整えられた。

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