| 寺院名 | 光明山 智源寺(ちげんじ) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市北区天神橋3丁目3-10 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 山号 | 光明山 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 慶長9年(1604年) |
| 開山 | 三誉智源上人 |
| 札所 | 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第五番札所 |
智源寺(ちげんじ)は、慶長9年(1604年)に浄土宗の僧・三誉智源上人によって開かれました。寺号は開基である上人の名に由来すると考えられ、江戸時代を通じて天満の地で地域庶民の信仰を集める寺院として存在してきました。特に境内に祀られた北向地蔵尊は「罪障を救う地蔵」として古くから厚い信仰を集め、参詣者が絶えなかったと伝わります。
近代に入ると、太平洋戦争末期の大阪大空襲(1945年)により智源寺は甚大な被害を受け、本堂を含む伽藍のほとんどが焼失しました。寺宝も多く失われ、円山応挙筆と伝えられた「富士図」や『観無量寿経曼荼羅』など、歴史的価値の高い所蔵品も戦火で散逸しました。
戦後の昭和37年(1962年)、市街地の寺町に調和する近代的な本堂・庫裏が再建されました。平安時代の名僧・恵心僧都源信作と伝えられる旧本尊の阿弥陀如来像は戦災で失われたため、再建時に大阪府内の浄土宗寺院から譲り受けた阿弥陀如来像が新たな本尊として安置され、現在まで大切に祀られています。
また、庶民信仰の象徴であった北向地蔵尊も戦時中に損傷を受けましたが、終戦後に修復され、現在も往時と変わらぬ姿で街路から拝むことができます。古い伝統と戦後復興の歴史を併せ持つ智源寺は、今も天満の町の静かな祈りの場として受け継がれています。
現在の智源寺は白い外壁をもつ近代的な建物で、本堂と庫裏が一体化した構造になっています。通りの町並みに溶け込むデザインで、従来の寺院建築とは異なる都市型の伽藍です。
通りに面した入口がそのまま山門代わりとなっており、伝統的な楼門・薬医門などは存在しません。入口脇には小さな鐘楼が設けられ、寺鐘が据えられています。
江戸期から昭和前期までの伽藍の詳細は不明ですが、1945年の大阪大空襲により旧本堂・山門など境内全ての建物が焼失。創建当時の歴史的建築は現存していません。
境内には石仏の北向地蔵尊と福力地蔵尊が祀られています。北向地蔵尊は「罪を救う仏」として古くから厚い信仰を集め、現在も通りから参拝できます。福力地蔵尊も地域住民の崇敬を集めています。
境内墓地には、旧唐津藩主で海軍中将として活躍した小笠原長生(子爵)の供養塔が建立されています。地域史と近代史が交差する貴重な史跡です。
智源寺には現在、指定文化財は存在しません。戦前に所蔵されていた円山応挙筆「富士図」や観無量寿経曼荼羅、恵心僧都源信作と伝わる阿弥陀如来像などは戦災で失われました。代替となる文化財も現存せず、寺宝の歴史は大きく失われています。
1604年
(慶長9年)
浄土宗の僧・三誉智源上人が天神橋の地に智源寺を創建。地域の庶民信仰を支える念仏道場として寺歴が始まる。
1945年
(昭和20年)
太平洋戦争末期の大阪大空襲により、本堂・庫裏を含むすべての伽藍が焼失。寺宝も多く失われ、寺院存続の危機を迎えた。
1962年
(昭和37年)
市街地に調和する近代的な新本堂・庫裏を再建。焼失した阿弥陀如来像に代わり、府内の浄土宗寺院より譲り受けた阿弥陀像を本尊として安置し、戦後の復興を果たす。